ハルの庭

三歳の娘との、毎日の暮らしを綴っています。

ハルと蜜柑

 

果物好きのハル、とりわけ

お気に入りなもののひとつが蜜柑です。

 

昨年の冬に初めて食べた以来すっかり夢中で、

旬の終わる今年の春先まで毎日のように食べ続けていました。

 

それからしばらくお預けと思いきや、

今時はハウス蜜柑なるものがあり、

夏場には、また早々に解禁となります。

そして初秋の頃からは早摘み蜜柑が登場し、

結局ほとんど一年中食べているのでないかという具合です。

 

つい先日は、ご近所の方からお庭に成った立派な蜜柑を

いただいたのですが、それもすぐにたいらげてしまいました。

バナナ然り、この時期には蜜柑も我が家には欠かせません。

 

 

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所々青みがかった張りのある皮に指をかけて、えいと剥くと、

ほのかにもう香る匂いに、いつも二人して鼻をくんくんとさせてしまいます。

 

 

この春まで、蜜柑の皮を剥くのは私の担当でした。

隣で待つハルは、はやる気持ちを抑えきれずに

そわそわと私の手元を覗き込んでいたものです。

 

中の薄皮を向き、あるいは筋をとって半分に割り、

そうしてひとつ、またひとつとお皿に並べていくのですが、

置いた傍から食べてしまう勢いのため、休む間がありません。

「よく噛んで、ゆっくり食べようね。

口の中ごっくんして、無くなったら次を食べてね。」

そう言うと、ハルは嬉しそうに「ないない!」と

大きな口を開いて見せてくれます。

 

それが、この夏からは、例の「あう( ハル )」で

自分と蜜柑とを交互に指差し、自分で皮を剥きたいと言い出したハル。

今では少々固いヘタのところ以外は、すっかり自分で剥けるようになりました。

 

早く早くと急かされながら薄皮を剥いていた

数ヶ月前を懐かしく思いだしながら、

このちいさな蜜柑ひとつにもハルの成長が見られることに、

とても頼もしいような心持ちになるのでした。

 

 

 

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ちなみに、お食事用のエプロンは最近ちっともつけてくれません。

皆さん、どうしていらっしゃるのでしょう。

エプロンをまたつけてもらえることを期待するか、

あるいは服を汚さず食べられるようになることを期待するか….。

いずれにしても、随分先の話になりそうです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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深秋の風邪

 

朝晩だけでなく、日中までも

随分と冷え込むようになりました。

 

我が家は揃って鼻風邪をひき、色々と

お出かけが延期になったりなどして困ったものです。

それでも、いつもわりに空いている公園へ行き、

隅っこの方で遠慮がちに遊んだりもしながら、

其所此所で葉色の移り変わる様子などに、

しみじみと深秋の美しさを感じています。

 

もうすぐにでも冬のやってくる気配のありそうな、

それでいて陽の強く射す温みに、つい気の緩むような、

今時分はどうも体調を整えることに難儀します。

 

そう言えば、抱きかかえたハルの頭の匂いが、

心なし冬の木立のようにも感じられました。

 

じきにうんと寒くなるのでしょう。

皆様、どうぞご自愛くださいませ。

 

 

 

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余談ですが、記事へのコメントをお書きいただけるようにいたしました。

便利な機能が多くあるようですが、あまり使いこなせておらず…。

少しずつ良くしていけたらと試行錯誤をしているところですが、

よろしければどうぞお気軽に感想などお寄せいただけましたら嬉しく思います。

それでは、また。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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ハル、という存在。

 

いつの間にか知れないのですが、

近頃ハルが「あう( ハル )」と言いながら、

自分のことを指差しするようになりました。

それは、「自分でやりたい」、「自分がやりたい」、「自分もできた」など、

まさにハル自身を指し示すもので、頬を指で触れるような仕草です。

 

これまでこうした意思を表現する際は、大きく声を上げたり、

ときに癇癪を起こすような態度を見せていたハル。

自分という存在の主張ができることで、

幾分落ち着いた意思疎通が行えるようになりました。

 

思えば、ハルがまだ生後五ヶ月位の頃、自分の足に気がつき、

その感触を確かめるように舐めている時期がありました。

聞くところによると、赤ちゃんには共感覚という能力があり、

口に含むことで、触覚によって得た刺激を視覚情報としても共有できるのだそうです。

つまり、舌で触れることによってものを見ている、ということになるのでしょうか。

 

この驚くべき方法で自己を認識していくわけですが、

一歳半を過ぎた頃、ハルはさらに大きな発見をしました。

 

鏡に映る自分、です。

 

初めてハルに鏡を見せたときの、そのはっとしたような表情は、

とても印象深いものがありました。

これは単に自分の外観を知るということだけでなしに、

思い描いていた世界の在り方が大きく変わることを意味するように思われます。

 

自分という、どこか漠然とした意識。

すべての物事が渾然一体となって存在していた世界。

それが、鏡に映る自分の姿を見ることで、

自分もまたこれまで目にしていた多くの人々と同じ、

一人の人間であることを知り、自他との境界を知るわけです。

 

ハルが自分の存在を認識し、

言葉と指差しを伴って主張できるようになったことで、

ハルのなかにはどのような変化が起きているのでしょう。

 

 

「人間は考える葦である。」とは、

十七世紀フランスの哲学者にして数学者、

また科学者でもあった、ブレーズ・パスカルの言葉。

少し解釈がややこしいのですが、

思考することのなかに尊厳が在り、それによってこそ人間は人間足り得る、

といったところでしょうか。

 

どうかハルには、考えることの大切さや楽しさを知り、

そうして自分と向き合いながら、その存在を受け止めて幸福に生きてもらいたい…。

ハル、という存在の尊さを思うにつけ、母である私はそんなことを考えるのでした。

 

 

 

 

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踊りに夢中

 

近頃、ハルが突然、踊り出すことがあります。

以前にご紹介した“くるくる”との違いは、手の動きも加わること。

ひらひら、よいしょよいしょ、

なにやらとても愉快に部屋の中を踊ってまわります。

 

きっかけはよくわからないのですが、

今のところは食べたものが特別好きな味だったとき、

もしくはテレビ番組で流れる曲が何か妙に調子の合うときに、

それは見られます。

 

嬉しかったり、楽しかったり、

まさに心踊るような気持ちから、

本当に踊り出してしまったというふうです。

 

誰に教わるでもないことですから、

もう踊らずにはいられないという心持ちに自然となるのでしょう。

 

考えてみれば、確かに世界中どこの文化にも

踊りは欠かせないもののように思われますし、

実に人間の原初的な身体表現なのかもわかりません。

 

 

思わず踊り出したくなるようなことのある毎日、

それはなんて幸せなのでしょう。

ハルが踊る様子を見ていると、私まで浮き浮きと嬉しくなり、

つい骨折のことを忘れて一緒に踊ってしまいたくなるのでした。

 

 

 

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困ったときのバナナさん

 

食事を終えて、しばらくすると、

ハルが私の手を引いて「あっち!あっち!」と台所を指差します。

食べ物の在り処へのお誘いです。

 

ハルくらいの月齢ではままあることのようですが、

一度にたくさんの量を食べられないため、日に幾度か間食が必要となり、

ことに少食のハルはすぐに小腹が空くので、頻繁におやつの催促があるのです。

 

あくまでも補助食という位置付けであること、

虫歯も心配であることから、

用意しているのは軽食か果物、お煎餅などですが、

やはりできれば食事をしっかりと摂ってほしいという思いもあり、

求めのある度に応えてよいのやら悩みます。

ただ、おやつなどを特にあげていなかったときでも、

とにかく食事量の少ないハルでしたので、

内容に気を配ってさえいれば食べてくれるだけ安心という気持ちにもなります。

 

実を言えば、私も子どもの時分は大変な少食かつ偏食でした。

食べたいと思えない量や美味しいと感じられないものを

無理矢理食べさせられることが不満で、給食には相当苦労をしました。

夫も身長の割りに痩せていて、義両親曰く、夫がハルくらいの頃は

一食終えるのに随分時間がかかったとのことですので、

これも遺伝に依るところがあるのかも知れません。

ハルのすこやかな成長を願えば、なるべく色々の栄養を

摂ってもらいたいところですが、少なくとも外見上ほぼ夫のハルは、

体質も夫に似ている可能性が高いように思われます。

そうなると、これはいよいよいやむを得ないことなのかもわかりません。

 

そんな私たちの救世主こそ、困ったときのバナナさんです。

基本的にはお煎餅を欲しがることの多いハルですが、

何かないかと訴えるきりのときは、

積極的にバナナを提案するようにしています。

以前は、まずはおにぎりを食べてもらっていたのですが、

ここしばらく「ないない」と断られてしまうため、

いよいよバナナの有り難みが増しています。

 

お手軽、お手頃で、栄養豊富なバナナ。

少食のハルならば、半分くらいでも食べてくれればひとまず安心です。

私が子どもの頃は、その甘さから、むしろ距離を置いていたくらいですが、

ハルはときに食事代わりのようにバナナを食べることもあり、

もはや欠かすことのできない存在なのです。

 

今では、大好きな映画『おもひでぽろぽろ』で

主人公のタエ子ちゃんが話していたように、

「果物の王様は…果物の王様は……。」

「バナナだった。」

というふうです。

 

食事をバナナだけで済ませてしまうことは、

お米文化をこよなく愛する私としてはいささか抵抗を感じるのですが、

それでもハルの健康に勝るものはありません。

世界にはバナナを主食とする地域もあるわけですから、

成長過程でほんの一寸の間こんな時期があっても構わないと考えるようにしています。

 

ハルのすこやかな成長が何より大切。

素直に頼ろう、困ったときのバナナさん。

私は、思い込みや妙なこだわりにとらわれて、

つい他がきちんと見えなくなってしまうきらいがあるため、

ここはひとつ、しみじみ感謝をしながら、お世話になることにしています。

 

 

 

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ハルの味覚

 

ハルの味覚は、どうも私の子どもの頃のそれに

よく似ているような気がします。

 

まだ、あまりお菓子をあげていないため、おやつと言えば、

おにぎりやパン、果物、それから甘栗に、お煎餅などを食べているハル。

果物の他は、クッキーやビスケットのような甘いものよりもお煎餅が好きで、

小腹が空くと「(おせん)べべ!(おせん)べべ!」と催促をします。

 

先日、夫の誕生日にケーキを買った際は、ハルにもあげられるよう、

ほとんど果物でできているようなタルトを選んだのですが、

ハルは上にのっている苺ばかりを欲しがっていました。

おかげで、私はすっかり苺のなくなったタルトを食べることになった程です。

 

思えば私も、大人になるまで甘いものが苦手で、

ケーキの類いはチョコレートのものしか食べませんでした。

(なぜかチョコレートだけはずっと好きです。)

甘味の程好い、なんとも上品なカスタードや生クリームなどと出会ってからは、

ケーキとはこんなにも繊細なものだったのかとすっかり夢中なのですが、

それでも少しの量を美味しくいただくくらいです。

 

あとはどちらかと言えば塩辛いものを好む傾向にあり、

たいしてお酒を呑むわけでもないのに、いわゆる酒の肴に目がありません。

 

そう言えば、食の好みは夫も同じ。

とすると、味覚の遺伝なんてものがあるのでしょうか。

なんとも、興味深いことです。

 

綺麗さっぱり苺のなくなったタルトを見て、

子どもの頃に、父と苺大福を分け合って食べたことを思い出しました。

あれはおそらく五歳かそこら、私がまだ小学校に上がる前のことです。

 

当時は、甘い味のするあんこがやはり好きでなかった私、

父に苺大福を半分わけてくれるようねだり、

何の迷うこともなく苺だけを食べてしまったのです。

「半分って、そういう半分?!」

父のキョトンとした顔はいまだに忘れられません。

 

私としては、苺だけを好きな私が苺をいただき、

苺と大福とどちらも好きな父に大福を食べてもらえば、

二人とも満足、という考えだったのですが…。 

「苺も食べたかったよう。」

思いがけない父の反応に少々申し訳ない気持ちになりつつ、

「これは一緒に食べるのが美味しいんだけどなぁ。」

と苦笑する様子には、首を傾げていました。

“苺は、苺だけで食べるのが一等美味しいに決まってる。”

そんなふうに思ったことを覚えています。

 

 

 

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それにしても、とにかく無類の果物好きな私、

それがタルトの苺だけをあげることに

まるでためらいを感じないのですから、

親心とはたいしたものです。

 

 

いつか、ハルにも苺タルトや苺大福の美味しさに

ハッとする日が来るのでしょうか。

そのときは、かつての母と娘の苺事件の話をしながら、

楽しいお茶の時間を過ごしたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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秘かな幸せ

 

時々、ハルの柔らかな

髪のぬくみにうずまって、

そっと空気をはむように

頬擦りをしたくなります。

 

砂糖菓子のような、ほの甘い匂いに、

思わずほうと溜め息のもれる、あの心地。

 

 

私の、秘かな幸せです。

 

 

 

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