ハルの庭

三歳の娘との、毎日の暮らしを綴っています。

『図画工作のめあて』彫刻家 佐藤忠良さんの言葉

 

 

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先日、「ノージーのひらめき工房」をご紹介したなかでも

少し触れましたが、とりわけハルと過ごすようになってからというもの、

幸せに生きるというのは全体どういうことだろうと

折に触れて考えるようになりました。

 

それは例えば、夢中になって何かを見つめたり、

心踊るような気持ちで日々を過ごすことでしょうか。

悲しいことも苦しいこともあるけれど、

それでも世界は美しいと知ることでしょうか。

 

そんなふうに考えていると、少なくとも私にとって、

幸せに生きることの本質は、

やはり「感動する」ことにあるように思われます。

 

 

そしてまた、その感動を表現する方法のひとつが

何かを作り出すことなのだとすれば、

作ることのめあてとは、

自分が何に心を動かされるのかを知ること、

世界や自分を見つめ、その尊さを知ることと言えるようにも思うのです。

 

そんな、何かを作るということのめあてについて、

素晴らしく丁寧に、また、わかりやすく綴られた言葉があります。

 

 

 


  このほんをよむひとへ

 

  ずがこうさくの じかんは、

  じょうずに えをかいたり

  じょうずに ものをつくったり する

  ことが、めあてでは ありません。

 

  きみの めで みた ことや、

  きみの あたまで かんがえた ことを、

  きみの てで

  かいたり、つくったり しなさい。

  こころを こめて

  つくって いく あいだに

 

  しぜんが どんなに すばらしいか、

  どんな ひとに なるのが

  たいせつか、

  と いう ことが

  わかってくるでしょう。

  これがめあてです。

 

 
なんと美しく、やわらかで、芯の通った言葉だろうかと

私はすっかり感激してしまいました。

 

これは、『おおきなかぶ』という絵本の挿絵でも

有名な佐藤忠良さんという彫刻家の方が、

学校の教科書に寄せた言葉だそうです。

 

子どもの頃、『おおきなかぶ』の絵本に登場する

おじいさんたちの、躍動感溢れる絵が大好きでした。

あの伸びやかな表現は、こんなに素敵な言葉を

伝えてくださる彫刻家さんによるものと知り、

深く納得しました。

 

学校では、正しいとされる方法や、

先生の主観に沿う出来でないと、良い評価をもらえない、

ということが、しばしばあるように思われます。

もとより評価の難しい内容に、

先生方も苦心していらっしゃるのかもわかりません。

そんなとき、ものづくりに真摯に向き合ってきた方の言葉は、

とても意義深く感じられます。

 

 

 

また、この佐藤忠良さんの言葉は、

少なからず「生きることのめあて」とも繋がっているように思うのです。

 

 

生きることのめあてとは、

けして上手に何事かをこなす

ということではない。

 

自分の目で見たり聴いたり、

考えたりしたことを

実践しながら、

自分を取り巻く世界や

自分の心と真摯に向き合っていれば、

 

自然がどんなに素晴らしいか、

どんな人になるのが大切か、

きっとわかってくる・・・。

 

 

様々な経験を経るうちに、

物事に対して形成された価値観は、

ときとして偏った見方を生むことがあります。

そしてまた、自分と向き合うということは、

ごく何でもないことのようでいて、

実はとても難しいことなのかも分かりません。

 

けれども我が子と過ごしていると、

結局はその「生きることのめあて」という

ものについて、考えさせられるように思うのです。

 

もっと言えば、まっさらな心の我が子と

手探りで日々を過ごすことのすべてが、

自分で見たり聴いたり考えたりすることの実践であり、

生きる、ということそのものであるのかも知れません。

 

「自然がどんなに素晴らしいか、どんな人になるのが大切か。」

子どもに伝えたいこととして、まさに我が意を得たりという思いです。

 


佐藤忠良さんもまた、ノージー同様、

つくるという行為を通じて、

生きることのめあてというふうなものを

そっと示してくださっている・・・。

 

私には、どうもそんなふうに感じられるのです

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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