ハルの庭

三歳の娘との、毎日の暮らしを綴っています。

あの子と、私。

 

 

何もかも上手くいかなくて、

すべてを投げ出してしまいたくなる日でも、

あの子の頬を、髪を、撫でることはできる。

 


胸の苦しくなるほどに憂鬱で、

溜め息のもれる日でも、

あの子をぎゅっと、抱きしめることはできる。



思わず涙のこぼれるような、

ひどく気持ちの塞ぐ日でも、

深呼吸をして、

あの子に大好きよって言うことはできる。


疲れ果てて倒れ込むように眠る日でも、

寝ているあの子のちいさなおでこに、

おやすみのキスをすることは、できる。


 

 

一緒にごはんを食べられない日には、

あの子が美味しそうにほおばる顔を

思い浮かべよう。



お散歩へ行けない日には、

帰って、あの子と二人、手をつなごう。


ほとんどお話を聴くことのできない日には、

何かひとつくらい、あの子の言葉に頷いて、

あの子の世界に感動しよう。


あの子が泣くとき隣で寄り添えない日には、

あの子の一等お気に入りの歌をうたおう。


 


あの子と、私。

今日も、明日も、たくさん笑おう。

あの子が笑えば、私も笑う。
私が笑えば、あの子も笑う。

 


ほら、おいでおいで。
野薔薇が咲いているよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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おやすみ

 

夜、隣で眠るあの子を、

そっと抱きしめてみる。

 

ちいさな子どもというのは、

てっきり砂糖菓子のように

甘く香るのだとばかり思っていたけれど、

まるで酸っぱくて、

熱を帯びた生き物の匂いがする。

 

なんだか可笑しくて、嬉しくて、

ひとり、布団のなかで笑ってしまう。

 

転がって、伸びをして、

よだれのあとまで、なんていとしい。

 

 

おやすみ、おやすみ、

よい夢を。

きっと、素敵な明日が来るよ。 

 

 

 

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またあとで、抱っこしようね。 おまけ

 

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ここ数日で、朝のお見送りの様子が不意に変わりました。

あの、涙なみだの数ヶ月はどこへ行ったのかと驚いてしまう程です。

 

随分な変わりようは、保育園のお友達の影響もあるのでしょうか。

あんまりあっさりしたお別れも寂しいような、

そんな勝手な親心もありつつ、少し、ほっとしています。

 

何がきっかけかは知れないのですが、

子どもというのは、たくましいものですねえ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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またあとで、抱っこしようね。

 

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何やら本当に、あっという間で日が経ってしまいました。

仕事へ出るようになり、毎日とにかく慌ただしくて、

世のお母さんたちはよくこれで暮らしを紡いでいられるものだと

感心してしまいます。

 

せわしい朝に始まり、休む間もなく夜になったかと思うと、

いつも、ほとんど気絶するように眠ってしまうのです。

 

ハルも、保育園でがんばっていることの反動か、

全力の甘えや癇癪を見せ、

親子共々やたらとくたくたの数ヶ月でした。

 

今日は偶然が重なり、久しぶりに

こうして近況を綴る機会を得ましたが、

私はまだ当分この調子のまま、秋を迎えそうです。

 

ハルはと言うと、先月の途中頃から

ようやく保育園にも馴れ、楽しく通園できるようになってきました。

四月から、実にふた月以上かかりましたが、

今では、先生やお友達のことを嬉々として話してくれています。

 

 

朝は、私の方が早く家を出るので、

夫と保育園へ向かうハルは、玄関で見送ってくれます。

そして、そんなとき、いつもこんなふうに言うのです。

 

「またあとで、抱っじゅしようね。」

 

その、どこか覚悟を決めたような表情は、

けれどもこの上なく切なくて、

涙ながらに言われると、いよいよ

ぎゅっとぎゅっと、抱っこせずにはいられません。

 

「うん、またあとで、抱っこしようね。

保育園から帰ったあとでも、沢山、抱っこしよう。」

「ね、抱っじゅしようね。」

「ね、抱っこしようねえ。」

 

 

離れて過ごす時間を、なかったことには

できないのかも知れませんが、

毎朝、こうしてお互いへの思いを伝え合うひとときが、

今の寂しさそのもののようでもあり、また、幸せでもあります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「おうち、に、いたい。」

 

朝、保育園へ行くための身支度を整えていると、

ハルが行きたくないと言って泣き出します。

 

そして今日、涙ながらに、

「おうち、に、いたい。」と言われてしまいました。

 

そんなにもはっきりと気持ちを伝えてもらうと、

その意向に添えないことに、いよいよ心苦しく、

胸の詰まる思いがします

 

ほとんど何もしてあげられなかったような、

もっと色々できたのじゃないかという気持ちにもなる、この二年半。

ですが、ハルにとっては、私と過ごす時間が

確かに安心で、心地好くも感じられるものだったのか知れないと、

こんなときに考えるには、はばかられることですが、

ほんの少し安堵するようでもあります。

 

けれども、それさえも私の勝手で、

いっそ何もわからないようなずっとちいさいうちから

保育園へ通っていた方が、かえって良かったのか知れないと、

そんなふうにも考えてしまいます。

 

私自身は、

生まれて間もなく保育園へ通い始めたので、

最初の頃のことはまるで覚えていません。

随分と泣いて、母は後ろ髪引かれる思いで

仕事へ行ったものだと話してくれましたが、

記憶の中での私はいつも楽しく過ごしていました。

 

ハルにとっても、保育園でのことが

素敵な思い出になるよう願っていますが、

それはあくまでも私の経験に依るものであって、

今のハルには、ただ不安で、哀しいだけ・・・。

 

だいぶ時間をかけて、

いずれ保育園という場所へ通うのだということ、

そこには優しい先生がいて、お友達がいて、

皆と沢山遊ぶところなのだということを伝えてきましたが、 

それでも、四六時中、母親である私のそばで過ごしていた

日々と比べてしまうと、そのあまりに大きな環境の変化を

“そういうものなのだ”と受け入れるなど、

土台無理なことなのでしょうか。

 

「なんだか、こちらまで切なくなっちゃうけれど、

初めのひと月は、皆そうなのよね。

もう一寸経てば、ね、きっと、大丈夫ですから。」

保育園で声をかけてくださった

余所のお母様の言葉に心すくわれたり、

けれどもそれを私がハルに求めるのは

やはり酷なのでないかと落ち込んだり、

覚悟を決めなくてはと思いつつも、

くよくよと心配ばかりしてしまいます。

 

 

“誰かを大切に思うというのはこわいこと。

大切な人が増えるのは、とてもこわい。”

ハルが生まれる前、夫にそんな話をしていたことを、

ふと思い出しました。

 

自分のことなら

幾らだって受け入れるけれど、

ハルが辛い思いをすることは、本当に苦しい・・・。

  

それでも、私は母となりました。

今だって、これからだって、

きっと幾度もハルの哀しむ姿を目にするでしょう。

もっとこわいことには、

私の知らないところでハルがひとり

哀しみに暮れることだってあるかもわかりません。

 

 

 

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“苦しいことも、哀しいこともあるけれど、

それでも、世界は美しい。”

 

思いがけず、

いつかの自分の言葉に、はっとさせられました。

 

 

 

そのうちに、今日のことを話して、

ハルと一緒に笑える日が来るでしょうか。

もどかしく、悩ましい日々ではありますが、

その日のために、今できることのぜんぶをしたいと思っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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さよなら、トントン。

 

今日は、ハルと私にとって、

少し、特別な日でした。

 

ハルが生まれたその日から、

二年半続けていた授乳を、

お仕舞いにする日だからです。

 

我が家で授乳と言えば「トントン」。

ハルが五ヶ月くらいの頃から、

私が自分の胸の辺りを軽くたたくような仕草で

いわゆるベビーサインをしていたのですが、

そのときに無意識で口にしていた「トントン」という

言葉が、そのまま授乳を意味するようになりました。

 

この日のために、

カレンダーをつくり、

毎日一緒にシールを貼って、

お仕舞いの日を確認しました。

 

「もうすぐ、トントンはないないだね。

トントンはね、本当は赤ちゃんのときのものなんだ。

赤ちゃんは歯がないから、ごはんが食べられないの。

トントンが、ごはんの代わりなんだね。

ハルは、素敵な歯が沢山生えてきたでしょう。

ごはんも美味しいおいしいって、食べられるものね。

そうすると、じゃあもうトントンはなくても大丈夫だねって、

ないないになるの。皆、そうしてトントンとは、さよならするんだよ。」

 

折に触れて、色々の話をしました。

そうして、生まれ出てもなお続く奇跡のような繋がりに、

いとおしさを噛み締めながら、授乳を続けてきました。

 

二歳を過ぎたハルにとって、

授乳は栄養を得るということよりも、

心の拠り所としての役割が大きかったように思います。

 

ハルが三歳になるくらいまで仕事はせずに、

それまで、ハルが求めるうちは、

授乳を無理に止めることもしないつもりでいました。

 

ですが、この春から保育園へ通うこととなり、

お昼寝の際に授乳がなくても困らないように、

何より授乳のできない状況でも、

ハルが自分自身で不安や心配事と向き合えるように、

授乳を、お仕舞いにすることに決めたのです。

 

もっと早く、保育園へ通い始める前に

さよならできれば良かったのですが、

なかなか実行に移せず、間に合いませんでした。

ハルに辛い思いをさせることを忍びないと感じながらも、

結局のところ、本当に授乳を必要としていたのは

他でもない、私だったのかも知れません。

 

夜間授乳による寝不足をしんどく思う一方で、

二人で身を寄せ合うように過ごす時間が、

たまらなく幸せでした。

ちいさなハルを、ずっとずっと、

腕のなかに抱きかかえていたいというようにさえ思っていたのです。

 

「トントンがお仕舞いになってから、

もしもどうしてもトントンがしたくなったら、

お母さんが、ハルのことを沢山抱っこするね。

抱っこで、ぎゅうってするから、一緒にがんばろうね。

大丈夫、トントンがなくても、ハルは、大丈夫だよ。

心配なことがあって、泣いちゃうことも、きっとあるけれど、

ハルは、大丈夫なんだよ。」

 

ほとんど言葉にできていないような言葉が、

どれ程伝わっていたのかはわかりませんが、

ハルは、いつでも懸命に向き合ってくれていました。

 

そして最後の日、

授乳をお仕舞いにする日、

夜、一緒にシールを貼った後、

ハルは「だっじゅ」と言い、

私はハルをそっと抱っこしました。

するとそのまま、ハルは腕の中で目を閉じたのです。

 

悩んだ末、私はハルに、

「ハル、最後にもう一度だけ、トントンする?」

と、声をかけました。

 

「明日になったら、もうトントンはないないだよ。

今日で、さよならするんだよ。もう一度しなくて、大丈夫?」

すると、ハルは、「(だいじょう)ぶ・・・。」と応えました。

 

「そっか、ないないか。」

「ないない・・・。」

「うん、それじゃあ、おやすみ。ハル、ハルのことが、大好きだよ。」

 

薄く開いた目で私をじっと見つめていたハルは、

またすぐに瞼を伏せ、そうして眠りにつきました。

抱っこをしてほしいと言ったときから、

いえ、シールを貼ったときから、

もう、トントンとのさよならを決めていたのかもわかりません。

 

 

 

 

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薄暗い部屋で、

ハルの寝顔をぼんやりと眺めながら、

私は、ひとりで沢山泣きました。

ハルの成長を嬉しく思うのと同じに、

寂しくて、寂しくて、涙が止まりませんでした。

 

きっと、ハルは忘れてしまうでしょう。

「トントン」という言葉が、

私たち二人にとって、

とても大切な意味を持っていたことを。

けれども、私はずっと、忘れません。

 

これから、沢山のさよならを経験しながら、

ハルはハルの人生を生きてゆきます。

私はその度泣いてしまうかも知れないけれど、

それほどに幸せをもらっていたのだと思えるようで在りたい、

今はただ、そんなふうな気持ちでいます。

 

 

きっと、きっと、大丈夫。

 

ハルと、私を、

私たち母娘を、

沢山、たくさん満たしてくれて、ありがとう。

 

さよなら、トントン。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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ハルの素敵な保育園

 

週末を挟み、今日からまた保育園へ通う日々が始まりました。

先週の金曜日も、やはり保育時間中はずっと泣いていたというハル。

ただ、外遊びの間だけはとても楽しそうにしていたそうで、

大好きな砂場で夢中になって過ごしていたとのことでした。

ほんの一時でも笑顔でいられたということに、

親の勝手ではありますが、ほっと安堵の胸を撫で下ろしました。

 

基本的に保育園に対しては不安しか感じていない様子のハルですが、

土曜日になって「今日は保育園はお休みだよ。」と言うと、

少し驚いたような表情を見せ、

「また行きたい?」と尋ねると、

小声ながらも「(いき)たい」と答えました。

 

その反応に今度はこちらが内心驚きつつも、

「そうだねえ。また行きたいね。

明日の、明日になったら、また行こうね。」と話をすると、

ハルはまたちいさな声で、「ね。」と言います。

保育園の全部を嫌になってはいないのだということに、

また少し、安心しました。

 

さて、そんなハルですが、いざ月曜日を迎え、

保育園に向かうと、保育園の脇の坂道にさしかかる辺りで

「(お母)しゃん、(お母)しゃん。」と早速、泣き出しました。

玄関先で靴を脱ぐ頃には鼻水もずびずび、

ひときわ大きな声で「だっじゅ(抱っこ)ー!!」と言いながら、

私にしがみつきつつ暴れつつの大騒ぎです。

なんとか抱っこから抱っこでハルを先生にお願いすると、

祈るような気持ちで足早に部屋を後にしました。

 

“ハルは今頃、どれ程心細い思いでいるだろう”

などど考えてしまうと、

どうにも哀しく、また苦しくなってしまいます。

 

ですが、ふと気がつきました。

ハルのような月齢でも、その力はとても強く、

もしも本気で私から離れまいとしたら、

引き剥がすのは容易ではありません。

抱っこから抱っこなどという穏便な受け渡しなど

とてもできないのです。

 

ハルは、泣きこそすれ、

私に全力でしがみつくようなことはしていません。

きっと、ハルの中にも色々に葛藤があるのだと考えさせられ、

何か感極まる思いがしました。

そして、“ああ、がんばろう”と、

かえってハルに励まされるような気持ちになったのでした。

 

お昼過ぎに迎えに行くと、

ハルはすでに半分泣いているような顔で、

コップに足を突っ込みながら床に座り込んでいました。

声を掛けると、やはり大泣きで駆け寄ってきます。

 

お昼ごはんをほんの一口だけ食べられたこと、

からだを動かして遊ぶ時間は愉しめたこと、等など

担任の先生が丁寧に様子を話してくださいました。

ハルは目に涙をいっぱいに溜めて、

「だっじゅ!だっじゅ!!」と叫んでいます。

 

すると、不意に近くにいた男の子が、

「だっじゅ・・・。」と言ってハルの肩にそっと手を置き、

それから何事もなかったかのように離れて行きました。

「ああ、そうだね、だっじゅだね。」と、私が、

その男の子にとも、ハルにともつかないような言葉を慌てて返すと、

今度は別の男の子が傍に来て、

私の手を優しく握り、またすぐに、離れて行きました。

 

 

 

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突然のことで、よく状況が飲み込めなかったのですが、

「だっじゅ」と言う男の子の表情の穏やかさ、

私の手を握りしめるちいさな手の温かさに、

とにかくもう胸がいっぱいになってしまいました。

 

ハルに近しい年頃の、ちいさな男の子たち。

何か感じるものがあって、

私たち母子を気遣ってくれたのでしょうか。

それはそれは柔らかな毛布で大切に包んでもらったような、

そんな幸せな心持ちです。

まるで私まで子どもの頃に戻ったように、

懐かしくも新鮮な感動でした。

 

 

本当に、なんていとおしい子どもたちだろう・・・。

朝、私に無理にでもしがみつこうとしないハルの様子からすると、

先生方にも、とてもよくしてもらっているのでしょう。

 

ハルも、このちいさなお友達も、先生も、

その大切な人も、その大切な人の大切な人も、

皆幸せだったらいいのに。

そんなふうに思わせてくれる、素敵な出来事でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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