ハルの庭

三歳の娘との、毎日の暮らしを綴っています。

ハルの花咲いた

 

時折、雨降りでもないのに

ハルがどうしても傘を差したいと言って聞かないことがあります。

 

公園などへ出掛ける際、

ついでに傘も持って行きたいという程度であれば

「それじゃあ途中で葉っぱやなんかを拾ったりできないし、

滑り台もむずかしいんじゃない?」等々、

話しをして諦めてもらうのですが、

ただひたすら傘を差したいと言うときには、

仕方なしに家の前でなら良いよと言うこともあります。

 

確かに雨の日に使うものだけれど、

別に晴れの日に差してはいけないと決まっているわけでもなし、

周囲の目や違和感などはそのうちに自然と

意識するようになるだろうと思ってのことです。

 

ハルにとって随分長いこと憧れの存在であった傘は、

ばさりと広く時の音や勢いの良さ、

屋根のように頭上を覆うかたちの面白さ、

そして持って歩く重さとやりがいや、

自分のものを所有していることの喜びなど、

本来の役割に留まらない様々な経験を

もたらしてくれているように感じられます。

 

先日も、ハルが傘を差したいと言って大騒ぎが始まったので、

二人で外へ出ることにしました。

 

近所の蝋梅の蕾がちょうど開いていて、

鼻を近づけるとなんとも好い香りです。

梅ともよく似ていますが、

実際には科属もまったく違うものだそうで、

水仙、椿とともに、

中国では雪中四花と呼ばれ、尊ばれているのだとか。

 

以前に京都で蝋梅の花を見掛けたときは、

もう三月になっていたように記憶しているのですが、

その土地の気候により、開花の時期がこうも異なるものなのでしょうか。

 

偶然にも、ハルの傘も、蝋梅と似た黄の色。

その様子は、まるで大きな花が一輪咲いているかのようです。

 

寒さの身に堪える時分ですが、確かに春の訪れが近づいているのだと、

なにやら嬉しい心持ちになったのでした。

 

 

 

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ハル、静電気と出会う。

 

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寒風吹きすさぶ中、ハルと公園で遊んでいた時のことです。

ハルが自分で帽子をかぶり直した際、くしゃくしゃになった髪の毛を、

私が整えようと手で触れた瞬間、その子はやってきました。

 

冬の困ったさんでお馴染みの、静電気です。

 

私は、ああそんな季節かと思う程度でしたが、

ハルはもう頬がはじけとんだかというような驚きの表情で、

その後は頬の無事を恐る恐る確認しながら、

いつまでも残るひりひりとした痛みを

無くすよう私に要求するのでした。

 

冬本番の寒さと静電気、

皆様、どうぞご注意を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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二歳三ヶ月のハルと動物園に行ったら

 

ハルと一緒に、久しぶりで動物園へ行ってきました。

実は前にも一度訪れたことがあるのですが、

そのときはまだ生後半年程だったため、

結果はアザラシに恐怖するというだけで、

まだあまり愉しむというふうではありませんでした。

 

近頃は、絵本などで色々な動物を覚え、

鳴き声を真似したりなどとても関心を持っている様子でしたので、

満を持しての再訪問です。

 

一番の楽しみは象、

「じょうしゃん、パオー」と鳴き声を真似ながら元気に出発しました。

 

以前は歩いて行ける場所にあった動物園ですが、引っ越してやや遠方となり、

バスと電車を乗り継いで小一時間程かけて向かいます。

 

ハルは、いつもでしたらバスの中でそわそわ、電車の中でもそわそわ、

あちらこちらへ歩きたがるか、抱っこを要求するかという調子なのですが、

この日はバスではしっかりと座り、電車ではなんと二十分程の乗車中ずっと立ち続けていました。

 

あんまり早くにがんばり過ぎて動物園を愉しめないようではいけないと、

途中幾度か抱っこすることを提案してみたのですが、それを丁重に断るハル。

とにかく気が急いているのか、昼食のサンドイッチが入った袋を

握りしめながら、ひたすら外を見つめていました。

そんなにも楽しみにしてくれているのかと思うと、行く甲斐があるというものです。

 

到着すると、入り口近くに象がいるとのことで、早速見に行きました。

「ハル、ほら。象さんだよ!」

さぞや喜ぶだろうと思って指差すと、聴こえてきたハルのちいさな声。

「じょうしゃん…。」

そして、間もなく「あっち!」と遠くを指して、

ハルはその場から離れるよう指示を出しました。

どうやら、想像していたよりずっと象が大きく、怖かったようです。

確かに、象に限らず、普段見慣れない動物というのは

改めて見ると大概が随分大きく感じられます。

 

そんな具合で、熊やパンダなどの前も足早に通り過ぎ、

気がつけばあっという間に半分見終わっていました。

事前に「ハルはきっと興奮し過ぎて、

全部回っていたら疲れちゃうかも知れない」とか、

「帰りの時間も遅くなっちゃうかなあ」などと

話していたのですが、まるで杞憂に終わりました。

 

二歳三ヶ月でもこんな感じなのかと少々残念のような、

無理に連れてきて怖い思いをさせたのでは申し訳ないというような気持ちにもなりつつ、

早めに昼食を食べ、気を取り直して後半を回ります。

 

 

 

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その日はあいにく、ふれあい広場が改装のため中止となっていて、

抱っこしたいと言っていたうさぎは眺めることしかできませんでした。

ですが、実際はうさぎのことも怖がって抱っこはまだ難しかったかも知れません。

 

残すところ期待されるのは、キリンです。

偶然にも経路のお仕舞い辺りにいましたので、本当に、最後のお楽しみです。

 

すると…思いがけず、そのキリンの隣で、ハルが立ち止まりました。

柵の向こうを指差して笑うハル。

そこにいたのは、サイでした。

「ハル、サイさんだねえ。」

「しゃいしゃん!」

サイなんてほとんど知らないはずなのに、

何かハルの心をとらえるものがあったのでしょうか。

本当に、とても長いこと嬉しそうにサイを眺めていました。

 

 

 

 

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普段、ハルの様子を見て好みなど知ったつもりになっていましたが、

やはり想像の及ばないことも沢山あるのだなあとつくづく感じました。

 

これが好きだろう、これは嫌がるだとう、と決めつけてしまうのでなしに、

これからはなるべく多くのものに触れる機会を設けようと思ったのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「ねんねしても大丈夫だよ」

 

最近でこそ、うまくすれば一時間か、

あるいは二時間程の昼寝ができるようになったハルですが、

それでも寝付くためには未だに授乳や抱っこが必要です。

 

その様子を見ていると、何と言うのか、

まるで眠るまいとがんばっているかのようです。

目をこすったり、あくびをしたり、明らかに眠そうなときでも、

懸命に眠気に抗っているように感じられるのです。

 

それはまるで、遠い昔の人々が、太陽の沈むことを

恐れていた心持ちにほとんど近いようにも思われます。

一度沈んでしまったら、二度と再び光の射すことがないのではという不安。

ハルは、このまま、このもやもやとした感覚に身を委ねてしまったら、

もう目を覚ますことができないのではと考えていそうな奮闘ぶりなのです。

 

「ハル、眠たい?」

「…たい。」

 

訊いてみると、ハル自身、

眠たいということは自覚しているようです。

 

「あのねえ、ハル、

眠たいときはねんねしても良いんだよ。

お母さん、ハルのこと抱っこしてるから、

お母さんにぎゅっぎゅしてねんねしても大丈夫だよ。」

 

すると、深く息をつくように、静かに、私に抱きついたハル。

気がつくと、それから一分も経たないうちに眠っていたのでした。

 

もしかしたら、偶然そのときが、

眠さの限界というような瞬間だったのかも知れません。

ですが、こんなにも穏やかに、

あっと言う間もなく眠ってしまったのには驚きました。

 

それは、何かを許されたかのように、

すっと力の抜けるのがわかる程の自然な、

そしてまた、本当に短い間の出来事だったのです。

 

特別何を思うでもなく出た「ねんねしても大丈夫だよ。」という言葉ですが、

ハルにとっては、少なからず、大切な意味を持ったのかもわかりません。

 

 

耳元で聴こえる寝息に、いとおしさがこみ上げるのを感じながら、

身に余るような幸せとハルのからだを抱えて帰路についたのでした。

 

 

 

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春の七草・・・雑炊?

 

去る一月七日、我が家では朝食に春の七草をいただきました。

もちろん自分で摘むというのでなく、買い求めたものではありますが、

それでも色々と事の所以を伺ったからでしょうか、

なにやら特別の思いがしました。

 

さて、そんなこんなで料理の支度をしていたのですが、

途中でふと気がつきました。

 

あれ。私が作ろうとしているもの、

これはお粥じゃなくて、雑炊だ…。

 

そうなのです、これも疲れのためでしょうか、

いえ、そうであってほしいところですが、

散々七草粥のお話をしていたのに、

それが頭の中では勝手に雑炊へと変換されていたのです。

 

あらまー…。

完全なる思い違いのもと、昨晩のうちに済ませていた

下ごしらえのお出汁を見つめながら、心の中で、

うっかりをしでかしたちびまる子ちゃんのように一瞬呆然となりました。

 

さて、どうしたものかと一応考えてはみるものの、

今からお粥を作っているようではお腹を空かせたハルが

おせんべいを食べたい等々、言い出しかねません。

仕方なしに、そのまま雑炊を作ることにしました。

 

昆布と椎茸、煮干しを浸けておいたお出汁を火にかけ、

醤油少々とお塩、きび砂糖を少し、

それから、すり下ろしたショウガで味を整えます。

具材は刻んだ七草としらす。

ハルにも食べやすいよう、最後に溶き卵を加えました。

 

ちなみに私は、お料理の甘みは大概きび砂糖でつけます。

みりんよりも、柔らかと言うのか、

素朴な甘さになるようで、気に入っています。

 

適当な私の適当料理ですが、まあ、なかなか、

やはりどうしても若干、野性的な風味のする草たちですが、

なんとか程よい味付けでまとめあげることができました。

 

歳を重ねるにつれ、からだに良いものを美味しいと感じるようになる

傾向にあるのですが、それでもそうそう新鮮な食材が手に入るわけではありませんし、

素材そのものの味を愉しむというのは子どもには伝わりにくい気がします。

もとより私の味付けはわりに薄いため、少し意識的に苦みを和らげるようにしてみました。

 

さあ食べよう、と夫とハルを呼び集めての朝ごはん。

七草雑炊は我ながらそれなりに美味しかったのですが、

ハルはひと口きり食べませんでした。

せっかく作ったのにと言いたいところではあるものの、

少食のハルですからこんなことは私も慣れたものです。

 

子どものためと思ってすること自体すべてが自己満足よ、と

だいぶ大げさに自分を納得させ、早々にお仕舞いとなったのでした。

 

 

冬場でも沢山の野菜を店先に見かける昨今ですが、

七草の青々とした葉の色には、確かに春の気配が感じられました。

長い冬の最中、ふと漏れさす陽に芯から暖かな心持ちになるように、

昔の人々もこの草草の葉色を手に、新しい芽吹きの季節を

それは喜ばしく思ったのかも知れないなどと想像を巡らせるのも、

なかなか愉しいものでした。

 

 

 

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春の七草粥のお話

 

昨日ご紹介した西村亨先生の著書『王朝びとの四季』は、

身近な草花などの自然に対する感受性についてだけでなく、

今も残る伝統行事や各風習の起こりなども、

大変丁寧に解説してくださっています。

 

その中に、一月七日にいただく

春の七草粥の由来についての一節がありました。

 

「正月七日は若菜のあつもの(吸い物。スープ)を喫する日で、

春浅い郊外の田園には若菜を摘む人々の姿が見られる。

王朝びとの行楽のひとつである。(中略)

寒さはなお去りやらぬけれども、消えかかった雪の間に、

はやことしの小さな生命がもえ出ている。

青々とした若菜の色に春の喜びが実感として迫ってくるのである。」

 

もともと、奈良朝もしくはそれ以前の古い時代には、

地方の豪族の娘さんが野に出て若菜を摘む風習があり、

それが族長階級の男女の結婚の機会にもなっていたのだとか。

それは別段、いつと日取りの定まったものではなく、

野辺の若菜が摘むにふさわしくなるのを待って、

うららかな春の日に野外へ出るのを楽しむようなものでした。

 

また、平安中期の女流歌人赤染衛門の歌集に、

若菜のことを「ななくさ」と呼んでいる例があり、

その七種が何々であったかはわからないものの、

後世、若菜のことを「ななくさ」(「七草」は当て字)と呼び、

それが今日の「七草粥」の源流となったのだそうです。

 

今日では、七草と言えば、せり、なずな(ペンペン草)、

ごぎょう(母子草)、はこべら、ほとけのざ

すずな(かぶ)、すずしろ(大根)と決まっていますが、

時代により、説により、その七種の植物は少しずつ異なります。

 

そして本来、正月七日に若菜を摘むのは人日(じんじつ)と言って、

正月の最初の子の日に小松を引き若菜を食するのは子の日の遊びとして言い分け、

模倣するもととなった中国でもふたつの別種の行事のように

区別されていたとの記録があるそうです。

 

七日の「七」にちなんで七種の植物を摘むというように形が整理され、

さらに中国風の人日や初子の日に影響されて時期を早め、

そうして、ぎりぎりのところまで日を繰り上げて、

わずかに雪間に見いだされる緑を摘んで、

あつものとするようになったのではないかと推察されています。

 

「小松にしても、若菜にしても、その生い先の長い、

生命力に富んだ若さがめでたいものとされる理由であった。

そういう植物や動物の持つ精気を摂取することが

人間の健康と生命を維持する手段である、と昔の人々は考えていた。」

 

病や、季節の移ろい、陽の昇ることや沈むこと、

稲穂の実りや雪の降るわけなど、

科学やら生物学やらなにも知れない時代、

ただ健やかにあることが、とりわけ切実な願いだったのでしょう。

そんなふうにして懸命に生きていた人々の風習が、

途方もない時間をかけて今の私たちの暮らしにまで引き継がれているのかと思うと、

こうした行事にも実に深い趣が感じられます。

 

ちなみに、肝心の王朝びとはと言えば、

実際のところ女性たちが本当に郊野へ若菜摘みへ出掛けていたかと言えば

必ずしもそうではなく、また男性であっても自ら若菜を摘んでいたのは、

おそらくは平安朝の初期頃までではないかとのことです。

のちには、ただ若菜を小さな美しい籠に盛って、

歌を添えて贈るのが約束事だったのだとか。

 

自分で摘んだわけではないであろう若菜を、

さも自ら摘んだように労を誇示するというのはいささか図々しいようでもありますが、

それでも相手の健康や長寿を祝福するというのはとても素敵な風習だと感じます。

 

 

これまでは、ただなんとなくそういうものだからと

謎に七種の草をお粥にしていましたが、

明日の七日には、家族の健康を願って美味しくいただきたいと思います。

 

 

 

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今年の目標「本を読む」

 

私は、それなりに意気込んで始めたことも

大概途中でうやむやにしてしまいがちなのですが、

今年は懲りずに一年の目標なるものを考えてみました。

 

それは「できるだけ毎日、ほんの一頁ずつでも本を読むこと。」です。

 

目標と言うには、すでにだいぶ弱気ですが、

とにかく今回はあまり無理のないようにして続けていきたいと思っています。

もともと読書は好きだったものの、近頃はなんやかんやとほとんど読めず、

そのうちにまとまった時間ができたら再開しようなどというつもりでいました。

ですが、ふと考えてみれば当面この慌ただしい状況は変わりそうにありませんし、

これはよほど意識して時間を設けなくてはと思い直した次第です。

 

早速、潔く諦めるような日もありますが、それでも今のところはなかなか順調です。

そして、改めて本というのは良いものだなあということをつくづく感じています。

 

ともすると私は、自身の視野の狭さに

息苦しくなってしまうことがあるのですが、

多様な方の言葉に触れていると、

世界がいかに豊かなものであるかを思い出すことができます。

 

 

ここしばらく夢中になって読んでいる本は、

西村亨先生の著書『王朝びとの四季』です。

この場合、王朝と言うのは古今集歌人源氏物語などの小説のモデルが生きた

平安朝の後期王朝時代を指すそうなのですが、

その時代の日本人が懐いた季節感や自然観を追求しながら、

それらがいかに人々の生活に深く結びついていたかということについて

論述されたもので、実に興味深い内容です。

 

お恥ずかしながら、もう本当にいい加減の記憶なのですが、

何かで読んだ、どなたかの美しい言葉の中に、同書についての記述があり、

気になって急ぎ購入したのでした。

 

 

せっかくですので、その中から

お正月に関連する一節を少し、ご紹介させてください。

 

「日本人はいったいに縁起をかつぐのが好きな国民だけれども、

ことばの上でもとかく縁起をかつぎたがる。この習性は昔も今も変わらないようで、

王朝の人々も『言忌み(こといみ)』と言って、めでたいことばを唱えたり、

不吉なことばを忌んだりしたが、正月元日にはことに『言忌み』を意識している。」

 

めでたいことばを唱えることも「言忌み」と言われたそうですが、

当時なにかというと引き合いに出された古歌として、

次のようなものに言及されています。

 

 

「天地(あめつち)を袋に縫ひて 幸ひを入れて持たれば、思ふことなし

 

 

(中略)宮廷の女性たちが正月の鏡餅を祝う時、この歌を三べん唱えたという

伝えのある歌であるが、昔から縁起をかつぐ時にそのおおげさな表現が、

おおげさと知りつつも喜ばれたのであろう。

  

 

天と地を縫い合わせて大きな袋を作って、

それにいっぱいの幸福を入れて持っているから、自分は何ももの思いがない。」

 

 

西村先生が「誇張も甚だしい歌であるが」と文中で仰るように、

確かに随分と欲の深いことを言ったものだと可笑しくも思われますが、

それでいて、天と地の間に自分たちがあるのだということを

当たり前に捉えた自然観には感服しました。

 

そして宮廷での優雅な生活とは言え、権力争いに始まり、

飢饉や流行病、祟り等々、当時を生きる人々には

今とは異なる苦労もさぞ多かったろうことを想像すると、

そんなおおげさな歌に込めた願いの切実さや、

欲を張る程のたくましさに、

なにやらいとおしいような気持ちにもなるのです。

 

 

本当に、誰も彼もがそんなにも多くの幸いを持って

生きることができたら、どれだけ良いでしょう。

 

不幸せになりたい人なんていないはずだのに、

どうして悲しいことがなくならないのかということに、

悲しくなってもしまいます。

ですがそんなときには、この歌を唱えた人々の生き様に思いを馳せて、

もう一寸前向きにやってみよう、という気にさせてもらったのでした。

 

どうやらすでに絶版とのことで大変残念なのですが、

もしかお近くの図書館などの蔵書にございましたら、

ご興味のある方にはぜひ一度お読みいただきたいおすすめの一冊です。

 

どうか皆様の過ごす日々も、抱えきれない程の幸いでいっぱいでありますように…。

 

 

 

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