ハルの庭

三歳の娘との、毎日の暮らしを綴っています。

“できない”ってことは、“できる”ってこと?

 

あれは、ハルが一歳半くらいの頃でしょうか。

少し前のお話になりますが、ハルが度々

謎の行動を見せていたことがありました。

 

ごはんやおやつを食べる際、おもむろに食べ物を掴んだかと思うと、

そのまま隣の部屋へと駆けていくのです。何事かと覗いてみれば、

部屋の隅に座り込んでこちらを見つめているハル。

どうやら、そこで食べようとしているらしいのです。

 

机のところへ戻って食べるように話すのですが、断固として動きません。

ハルが座り込もうとした場所に物が置いてあったときには、

同じ部屋の別の隅に移動して食べていました。

こうした行動が、食事の度に見られたのです。

 

一体どういうわけだろうと考えているうちに、

これとよく似た光景をどこかで見た覚えのあることに気がつきました。

確か、ライオンかなにかの野生動物を特集したテレビ番組で、

自分の取り分の餌を仲間から離れた場所へ移動してから食べる、という一場面です。

 

気になって少し調べてみると、

こうしたことは犬や猫にも見られる行動だそうで、

食べ物を横取りされる心配なく自分だけの場所で

安心して食べたいという意識に依るものとのことでした。

 

私や夫、そしてハルは、食べ物を取り合うわけでなし、

わざわざ離れて食べる必要はないように思われますが、

部屋の隅でじっとちいさくなって座り込む様子は、

やはりただならぬものを感じさせます。

 

 

そうしてハルを見ていると、ふと、

私たちも動物なのだなあというごく当たり前のことに、

はっとさせられます。

 

人間とは面白いもので、

野生動物としての習性を色濃く残しながら生まれ、

成長するに従い社会へ順応していく様は、

まるで人類の進化をたどるようです。

 

そう考えてみれば、泣くことや人見知りをすること、

なんでも口に入れてみたりすることや、眠ることへの不安など、

赤ちゃんの行動は、たとえ大人が困惑するようなものであっても、

大人の理想通りに“できない”のではなく、

本能に基づいた本来とるべき行動や反応が“できる”のだと

言えるようにも思われます。

 

子どもの行動でどうにも理解に苦しむ場合には、

大人の考える社会的常識や規範に当てはめるよりも、

むしろ人間がもともと備え持つ習性に照らして考える方が

理にかなっているのかもわかりません。

 

野生の環境では、あらゆることが命がけですから、

確かにお行儀もなにもないわけです。

後々の本人のためとは言え、

大人の思うようにできなくとも無理はないと

ゆったり構えているくらいが、

かえってこちらも心持ちが楽のような気もします。

 

余裕のないときなどは、ほとほと困ってしまうこともありますが、

とにかく子どもは一生懸命ですから、余程危ないことでないかぎりは

気長に付き合っていきたいとも思うのです。

 

 

 

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ちなみに、ひと月ほどでその行動は見られなくなりました。

あれは一体なんだったのか、結局のところはよくわからないのですが、

人が育っていく過程の奥深さをまたひとつ、かいま見たような出来事でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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お花の赤ちゃん

 

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ハルは、花の蕾や木の葉の芽のことを「赤ちゃん」と呼んでいます。

ハルがまだうんとちいさい頃、それこそ赤ちゃんだったときに、

私が散歩などへ行く度そうしたものを見かけては

「ほら、ちいさいねぇ。お花の赤ちゃんみたいだね。」と話していたので、

自然とそう呼ぶようになっていました。

 

強いて言えば、お花の赤ちゃんは種が正解かなぁとも思うのですが、

それはまあ、いずれまた説明するとして…。

 

今日は、散歩の途中で、福寿草の蕾を見つけました。

土の中からむくりと顔を出し、ひっそりとがくにくるまる姿は、

なんだか本当に赤ちゃんが眠っているようです。

 

暦の上では大寒、そのなかでも、全体七十二で割ると

今日辺りの候の言葉は「春隣」(はるとなり)と言うそうです。

寒い寒いと思って過ごしていても、木々の枝先には新芽が膨らみ、

ちいさな花の蕾も其所此所に見られます。

心持ちやわらかな陽に、春の気配をわずかにも感じながら、

なんとか散歩を愉しむ毎日です。

ハルの花咲いた

 

時折、雨降りでもないのに

ハルがどうしても傘を差したいと言って聞かないことがあります。

 

公園などへ出掛ける際、

ついでに傘も持って行きたいという程度であれば

「それじゃあ途中で葉っぱやなんかを拾ったりできないし、

滑り台もむずかしいんじゃない?」等々、

話しをして諦めてもらうのですが、

ただひたすら傘を差したいと言うときには、

仕方なしに家の前でなら良いよと言うこともあります。

 

確かに雨の日に使うものだけれど、

別に晴れの日に差してはいけないと決まっているわけでもなし、

周囲の目や違和感などはそのうちに自然と

意識するようになるだろうと思ってのことです。

 

ハルにとって随分長いこと憧れの存在であった傘は、

ばさりと広く時の音や勢いの良さ、

屋根のように頭上を覆うかたちの面白さ、

そして持って歩く重さとやりがいや、

自分のものを所有していることの喜びなど、

本来の役割に留まらない様々な経験を

もたらしてくれているように感じられます。

 

先日も、ハルが傘を差したいと言って大騒ぎが始まったので、

二人で外へ出ることにしました。

 

近所の蝋梅の蕾がちょうど開いていて、

鼻を近づけるとなんとも好い香りです。

梅ともよく似ていますが、

実際には科属もまったく違うものだそうで、

水仙、椿とともに、

中国では雪中四花と呼ばれ、尊ばれているのだとか。

 

以前に京都で蝋梅の花を見掛けたときは、

もう三月になっていたように記憶しているのですが、

その土地の気候により、開花の時期がこうも異なるものなのでしょうか。

 

偶然にも、ハルの傘も、蝋梅と似た黄の色。

その様子は、まるで大きな花が一輪咲いているかのようです。

 

寒さの身に堪える時分ですが、確かに春の訪れが近づいているのだと、

なにやら嬉しい心持ちになったのでした。

 

 

 

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ハル、静電気と出会う。

 

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寒風吹きすさぶ中、ハルと公園で遊んでいた時のことです。

ハルが自分で帽子をかぶり直した際、くしゃくしゃになった髪の毛を、

私が整えようと手で触れた瞬間、その子はやってきました。

 

冬の困ったさんでお馴染みの、静電気です。

 

私は、ああそんな季節かと思う程度でしたが、

ハルはもう頬がはじけとんだかというような驚きの表情で、

その後は頬の無事を恐る恐る確認しながら、

いつまでも残るひりひりとした痛みを

無くすよう私に要求するのでした。

 

冬本番の寒さと静電気、

皆様、どうぞご注意を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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二歳三ヶ月のハルと動物園に行ったら

 

ハルと一緒に、久しぶりで動物園へ行ってきました。

実は前にも一度訪れたことがあるのですが、

そのときはまだ生後半年程だったため、

結果はアザラシに恐怖するというだけで、

まだあまり愉しむというふうではありませんでした。

 

近頃は、絵本などで色々な動物を覚え、

鳴き声を真似したりなどとても関心を持っている様子でしたので、

満を持しての再訪問です。

 

一番の楽しみは象、

「じょうしゃん、パオー」と鳴き声を真似ながら元気に出発しました。

 

以前は歩いて行ける場所にあった動物園ですが、引っ越してやや遠方となり、

バスと電車を乗り継いで小一時間程かけて向かいます。

 

ハルは、いつもでしたらバスの中でそわそわ、電車の中でもそわそわ、

あちらこちらへ歩きたがるか、抱っこを要求するかという調子なのですが、

この日はバスではしっかりと座り、電車ではなんと二十分程の乗車中ずっと立ち続けていました。

 

あんまり早くにがんばり過ぎて動物園を愉しめないようではいけないと、

途中幾度か抱っこすることを提案してみたのですが、それを丁重に断るハル。

とにかく気が急いているのか、昼食のサンドイッチが入った袋を

握りしめながら、ひたすら外を見つめていました。

そんなにも楽しみにしてくれているのかと思うと、行く甲斐があるというものです。

 

到着すると、入り口近くに象がいるとのことで、早速見に行きました。

「ハル、ほら。象さんだよ!」

さぞや喜ぶだろうと思って指差すと、聴こえてきたハルのちいさな声。

「じょうしゃん…。」

そして、間もなく「あっち!」と遠くを指して、

ハルはその場から離れるよう指示を出しました。

どうやら、想像していたよりずっと象が大きく、怖かったようです。

確かに、象に限らず、普段見慣れない動物というのは

改めて見ると大概が随分大きく感じられます。

 

そんな具合で、熊やパンダなどの前も足早に通り過ぎ、

気がつけばあっという間に半分見終わっていました。

事前に「ハルはきっと興奮し過ぎて、

全部回っていたら疲れちゃうかも知れない」とか、

「帰りの時間も遅くなっちゃうかなあ」などと

話していたのですが、まるで杞憂に終わりました。

 

二歳三ヶ月でもこんな感じなのかと少々残念のような、

無理に連れてきて怖い思いをさせたのでは申し訳ないというような気持ちにもなりつつ、

早めに昼食を食べ、気を取り直して後半を回ります。

 

 

 

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その日はあいにく、ふれあい広場が改装のため中止となっていて、

抱っこしたいと言っていたうさぎは眺めることしかできませんでした。

ですが、実際はうさぎのことも怖がって抱っこはまだ難しかったかも知れません。

 

残すところ期待されるのは、キリンです。

偶然にも経路のお仕舞い辺りにいましたので、本当に、最後のお楽しみです。

 

すると…思いがけず、そのキリンの隣で、ハルが立ち止まりました。

柵の向こうを指差して笑うハル。

そこにいたのは、サイでした。

「ハル、サイさんだねえ。」

「しゃいしゃん!」

サイなんてほとんど知らないはずなのに、

何かハルの心をとらえるものがあったのでしょうか。

本当に、とても長いこと嬉しそうにサイを眺めていました。

 

 

 

 

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普段、ハルの様子を見て好みなど知ったつもりになっていましたが、

やはり想像の及ばないことも沢山あるのだなあとつくづく感じました。

 

これが好きだろう、これは嫌がるだとう、と決めつけてしまうのでなしに、

これからはなるべく多くのものに触れる機会を設けようと思ったのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「ねんねしても大丈夫だよ」

 

最近でこそ、うまくすれば一時間か、

あるいは二時間程の昼寝ができるようになったハルですが、

それでも寝付くためには未だに授乳や抱っこが必要です。

 

その様子を見ていると、何と言うのか、

まるで眠るまいとがんばっているかのようです。

目をこすったり、あくびをしたり、明らかに眠そうなときでも、

懸命に眠気に抗っているように感じられるのです。

 

それはまるで、遠い昔の人々が、太陽の沈むことを

恐れていた心持ちにほとんど近いようにも思われます。

一度沈んでしまったら、二度と再び光の射すことがないのではという不安。

ハルは、このまま、このもやもやとした感覚に身を委ねてしまったら、

もう目を覚ますことができないのではと考えていそうな奮闘ぶりなのです。

 

「ハル、眠たい?」

「…たい。」

 

訊いてみると、ハル自身、

眠たいということは自覚しているようです。

 

「あのねえ、ハル、

眠たいときはねんねしても良いんだよ。

お母さん、ハルのこと抱っこしてるから、

お母さんにぎゅっぎゅしてねんねしても大丈夫だよ。」

 

すると、深く息をつくように、静かに、私に抱きついたハル。

気がつくと、それから一分も経たないうちに眠っていたのでした。

 

もしかしたら、偶然そのときが、

眠さの限界というような瞬間だったのかも知れません。

ですが、こんなにも穏やかに、

あっと言う間もなく眠ってしまったのには驚きました。

 

それは、何かを許されたかのように、

すっと力の抜けるのがわかる程の自然な、

そしてまた、本当に短い間の出来事だったのです。

 

特別何を思うでもなく出た「ねんねしても大丈夫だよ。」という言葉ですが、

ハルにとっては、少なからず、大切な意味を持ったのかもわかりません。

 

 

耳元で聴こえる寝息に、いとおしさがこみ上げるのを感じながら、

身に余るような幸せとハルのからだを抱えて帰路についたのでした。

 

 

 

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春の七草・・・雑炊?

 

去る一月七日、我が家では朝食に春の七草をいただきました。

もちろん自分で摘むというのでなく、買い求めたものではありますが、

それでも色々と事の所以を伺ったからでしょうか、

なにやら特別の思いがしました。

 

さて、そんなこんなで料理の支度をしていたのですが、

途中でふと気がつきました。

 

あれ。私が作ろうとしているもの、

これはお粥じゃなくて、雑炊だ…。

 

そうなのです、これも疲れのためでしょうか、

いえ、そうであってほしいところですが、

散々七草粥のお話をしていたのに、

それが頭の中では勝手に雑炊へと変換されていたのです。

 

あらまー…。

完全なる思い違いのもと、昨晩のうちに済ませていた

下ごしらえのお出汁を見つめながら、心の中で、

うっかりをしでかしたちびまる子ちゃんのように一瞬呆然となりました。

 

さて、どうしたものかと一応考えてはみるものの、

今からお粥を作っているようではお腹を空かせたハルが

おせんべいを食べたい等々、言い出しかねません。

仕方なしに、そのまま雑炊を作ることにしました。

 

昆布と椎茸、煮干しを浸けておいたお出汁を火にかけ、

醤油少々とお塩、きび砂糖を少し、

それから、すり下ろしたショウガで味を整えます。

具材は刻んだ七草としらす。

ハルにも食べやすいよう、最後に溶き卵を加えました。

 

ちなみに私は、お料理の甘みは大概きび砂糖でつけます。

みりんよりも、柔らかと言うのか、

素朴な甘さになるようで、気に入っています。

 

適当な私の適当料理ですが、まあ、なかなか、

やはりどうしても若干、野性的な風味のする草たちですが、

なんとか程よい味付けでまとめあげることができました。

 

歳を重ねるにつれ、からだに良いものを美味しいと感じるようになる

傾向にあるのですが、それでもそうそう新鮮な食材が手に入るわけではありませんし、

素材そのものの味を愉しむというのは子どもには伝わりにくい気がします。

もとより私の味付けはわりに薄いため、少し意識的に苦みを和らげるようにしてみました。

 

さあ食べよう、と夫とハルを呼び集めての朝ごはん。

七草雑炊は我ながらそれなりに美味しかったのですが、

ハルはひと口きり食べませんでした。

せっかく作ったのにと言いたいところではあるものの、

少食のハルですからこんなことは私も慣れたものです。

 

子どものためと思ってすること自体すべてが自己満足よ、と

だいぶ大げさに自分を納得させ、早々にお仕舞いとなったのでした。

 

 

冬場でも沢山の野菜を店先に見かける昨今ですが、

七草の青々とした葉の色には、確かに春の気配が感じられました。

長い冬の最中、ふと漏れさす陽に芯から暖かな心持ちになるように、

昔の人々もこの草草の葉色を手に、新しい芽吹きの季節を

それは喜ばしく思ったのかも知れないなどと想像を巡らせるのも、

なかなか愉しいものでした。

 

 

 

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someyakaoru.hatenadiary.jp