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我が家は、トマトの種だらけ。

二歳の娘との、毎日の暮らしを綴っています。

「おうち、に、いたい。」

 

朝、保育園へ行くための身支度を整えていると、

ハルが行きたくないと言って泣き出します。

 

そして今日、涙ながらに、

「おうち、に、いたい。」と言われてしまいました。

 

そんなにもはっきりと気持ちを伝えてもらうと、

その意向に添えないことに、いよいよ心苦しく、

胸の詰まる思いがします

 

ほとんど何もしてあげられなかったような、

もっと色々できたのじゃないかという気持ちにもなる、この二年半。

ですが、ハルにとっては、私と過ごす時間が

確かに安心で、心地好くも感じられるものだったのか知れないと、

こんなときに考えるには、はばかられることですが、

ほんの少し安堵するようでもあります。

 

けれども、それさえも私の勝手で、

いっそ何もわからないようなずっとちいさいうちから

保育園へ通っていた方が、かえって良かったのか知れないと、

そんなふうにも考えてしまいます。

 

私自身は、

生まれて間もなく保育園へ通い始めたので、

最初の頃のことはまるで覚えていません。

随分と泣いて、母は後ろ髪引かれる思いで

仕事へ行ったものだと話してくれましたが、

記憶の中での私はいつも楽しく過ごしていました。

 

ハルにとっても、保育園でのことが

素敵な思い出になるよう願っていますが、

それはあくまでも私の経験に依るものであって、

今のハルには、ただ不安で、哀しいだけ・・・。

 

だいぶ時間をかけて、

いずれ保育園という場所へ通うのだということ、

そこには優しい先生がいて、お友達がいて、

皆と沢山遊ぶところなのだということを伝えてきましたが、 

それでも、四六時中、母親である私のそばで過ごしていた

日々と比べてしまうと、そのあまりに大きな環境の変化を

“そういうものなのだ”と受け入れるなど、

土台無理なことなのでしょうか。

 

「なんだか、こちらまで切なくなっちゃうけれど、

初めのひと月は、皆そうなのよね。

もう一寸経てば、ね、きっと、大丈夫ですから。」

保育園で声をかけてくださった

余所のお母様の言葉に心すくわれたり、

けれどもそれを私がハルに求めるのは

やはり酷なのでないかと落ち込んだり、

覚悟を決めなくてはと思いつつも、

くよくよと心配ばかりしてしまいます。

 

 

“誰かを大切に思うというのはこわいこと。

大切な人が増えるのは、とてもこわい。”

ハルが生まれる前、夫にそんな話をしていたことを、

ふと思い出しました。

 

自分のことなら

幾らだって受け入れるけれど、

ハルが辛い思いをすることは、本当に苦しい・・・。

  

それでも、私は母となりました。

今だって、これからだって、

きっと幾度もハルの哀しむ姿を目にするでしょう。

もっとこわいことには、

私の知らないところでハルがひとり

哀しみに暮れることだってあるかもわかりません。

 

 

 

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“苦しいことも、哀しいこともあるけれど、

それでも、世界は美しい。”

 

思いがけず、

いつかの自分の言葉に、はっとさせられました。

 

 

 

そのうちに、今日のことを話して、

ハルと一緒に笑える日が来るでしょうか。

もどかしく、悩ましい日々ではありますが、

その日のために、今できることのぜんぶをしたいと思っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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さよなら、トントン。

 

今日は、ハルと私にとって、

少し、特別な日でした。

 

ハルが生まれたその日から、

二年半続けていた授乳を、

お仕舞いにする日だからです。

 

我が家で授乳と言えば「トントン」。

ハルが五ヶ月くらいの頃から、

私が自分の胸の辺りを軽くたたくような仕草で

いわゆるベビーサインをしていたのですが、

そのときに無意識で口にしていた「トントン」という

言葉が、そのまま授乳を意味するようになりました。

 

この日のために、

カレンダーをつくり、

毎日一緒にシールを貼って、

お仕舞いの日を確認しました。

 

「もうすぐ、トントンはないないだね。

トントンはね、本当は赤ちゃんのときのものなんだ。

赤ちゃんは歯がないから、ごはんが食べられないの。

トントンが、ごはんの代わりなんだね。

ハルは、素敵な歯が沢山生えてきたでしょう。

ごはんも美味しいおいしいって、食べられるものね。

そうすると、じゃあもうトントンはなくても大丈夫だねって、

ないないになるの。皆、そうしてトントンとは、さよならするんだよ。」

 

折に触れて、色々の話をしました。

そうして、生まれ出てもなお続く奇跡のような繋がりに、

いとおしさを噛み締めながら、授乳を続けてきました。

 

二歳を過ぎたハルにとって、

授乳は栄養を得るということよりも、

心の拠り所としての役割が大きかったように思います。

 

ハルが三歳になるくらいまで仕事はせずに、

それまで、ハルが求めるうちは、

授乳を無理に止めることもしないつもりでいました。

 

ですが、この春から保育園へ通うこととなり、

お昼寝の際に授乳がなくても困らないように、

何より授乳のできない状況でも、

ハルが自分自身で不安や心配事と向き合えるように、

授乳を、お仕舞いにすることに決めたのです。

 

もっと早く、保育園へ通い始める前に

さよならできれば良かったのですが、

なかなか実行に移せず、間に合いませんでした。

ハルに辛い思いをさせることを忍びないと感じながらも、

結局のところ、本当に授乳を必要としていたのは

他でもない、私だったのかも知れません。

 

夜間授乳による寝不足をしんどく思う一方で、

二人で身を寄せ合うように過ごす時間が、

たまらなく幸せでした。

ちいさなハルを、ずっとずっと、

腕のなかに抱きかかえていたいというようにさえ思っていたのです。

 

「トントンがお仕舞いになってから、

もしもどうしてもトントンがしたくなったら、

お母さんが、ハルのことを沢山抱っこするね。

抱っこで、ぎゅうってするから、一緒にがんばろうね。

大丈夫、トントンがなくても、ハルは、大丈夫だよ。

心配なことがあって、泣いちゃうことも、きっとあるけれど、

ハルは、大丈夫なんだよ。」

 

ほとんど言葉にできていないような言葉が、

どれ程伝わっていたのかはわかりませんが、

ハルは、いつでも懸命に向き合ってくれていました。

 

そして最後の日、

授乳をお仕舞いにする日、

夜、一緒にシールを貼った後、

ハルは「だっじゅ」と言い、

私はハルをそっと抱っこしました。

するとそのまま、ハルは腕の中で目を閉じたのです。

 

悩んだ末、私はハルに、

「ハル、最後にもう一度だけ、トントンする?」

と、声をかけました。

 

「明日になったら、もうトントンはないないだよ。

今日で、さよならするんだよ。もう一度しなくて、大丈夫?」

すると、ハルは、「(だいじょう)ぶ・・・。」と応えました。

 

「そっか、ないないか。」

「ないない・・・。」

「うん、それじゃあ、おやすみ。ハル、ハルのことが、大好きだよ。」

 

薄く開いた目で私をじっと見つめていたハルは、

またすぐに瞼を伏せ、そうして眠りにつきました。

抱っこをしてほしいと言ったときから、

いえ、シールを貼ったときから、

もう、トントンとのさよならを決めていたのかもわかりません。

 

 

 

 

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薄暗い部屋で、

ハルの寝顔をぼんやりと眺めながら、

私は、ひとりで沢山泣きました。

ハルの成長を嬉しく思うのと同じに、

寂しくて、寂しくて、涙が止まりませんでした。

 

きっと、ハルは忘れてしまうでしょう。

「トントン」という言葉が、

私たち二人にとって、

とても大切な意味を持っていたことを。

けれども、私はずっと、忘れません。

 

これから、沢山のさよならを経験しながら、

ハルはハルの人生を生きてゆきます。

私はその度泣いてしまうかも知れないけれど、

それほどに幸せをもらっていたのだと思えるようで在りたい、

今はただ、そんなふうな気持ちでいます。

 

 

きっと、きっと、大丈夫。

 

ハルと、私を、

私たち母娘を、

沢山、たくさん満たしてくれて、ありがとう。

 

さよなら、トントン。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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ハルの素敵な保育園

 

週末を挟み、今日からまた保育園へ通う日々が始まりました。

先週の金曜日も、やはり保育時間中はずっと泣いていたというハル。

ただ、外遊びの間だけはとても楽しそうにしていたそうで、

大好きな砂場で夢中になって過ごしていたとのことでした。

ほんの一時でも笑顔でいられたということに、

親の勝手ではありますが、ほっと安堵の胸を撫で下ろしました。

 

基本的に保育園に対しては不安しか感じていない様子のハルですが、

土曜日になって「今日は保育園はお休みだよ。」と言うと、

少し驚いたような表情を見せ、

「また行きたい?」と尋ねると、

小声ながらも「(いき)たい」と答えました。

 

その反応に今度はこちらが内心驚きつつも、

「そうだねえ。また行きたいね。

明日の、明日になったら、また行こうね。」と話をすると、

ハルはまたちいさな声で、「ね。」と言います。

保育園の全部を嫌になってはいないのだということに、

また少し、安心しました。

 

さて、そんなハルですが、いざ月曜日を迎え、

保育園に向かうと、保育園の脇の坂道にさしかかる辺りで

「(お母)しゃん、(お母)しゃん。」と早速、泣き出しました。

玄関先で靴を脱ぐ頃には鼻水もずびずび、

ひときわ大きな声で「だっじゅ(抱っこ)ー!!」と言いながら、

私にしがみつきつつ暴れつつの大騒ぎです。

なんとか抱っこから抱っこでハルを先生にお願いすると、

祈るような気持ちで足早に部屋を後にしました。

 

“ハルは今頃、どれ程心細い思いでいるだろう”

などど考えてしまうと、

どうにも哀しく、また苦しくなってしまいます。

 

ですが、ふと気がつきました。

ハルのような月齢でも、その力はとても強く、

もしも本気で私から離れまいとしたら、

引き剥がすのは容易ではありません。

抱っこから抱っこなどという穏便な受け渡しなど

とてもできないのです。

 

ハルは、泣きこそすれ、

私に全力でしがみつくようなことはしていません。

きっと、ハルの中にも色々に葛藤があるのだと考えさせられ、

何か感極まる思いがしました。

そして、“ああ、がんばろう”と、

かえってハルに励まされるような気持ちになったのでした。

 

お昼過ぎに迎えに行くと、

ハルはすでに半分泣いているような顔で、

コップに足を突っ込みながら床に座り込んでいました。

声を掛けると、やはり大泣きで駆け寄ってきます。

 

お昼ごはんをほんの一口だけ食べられたこと、

からだを動かして遊ぶ時間は愉しめたこと、等など

担任の先生が丁寧に様子を話してくださいました。

ハルは目に涙をいっぱいに溜めて、

「だっじゅ!だっじゅ!!」と叫んでいます。

 

すると、不意に近くにいた男の子が、

「だっじゅ・・・。」と言ってハルの肩にそっと手を置き、

それから何事もなかったかのように離れて行きました。

「ああ、そうだね、だっじゅだね。」と、私が、

その男の子にとも、ハルにともつかないような言葉を慌てて返すと、

今度は別の男の子が傍に来て、

私の手を優しく握り、またすぐに、離れて行きました。

 

 

 

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突然のことで、よく状況が飲み込めなかったのですが、

「だっじゅ」と言う男の子の表情の穏やかさ、

私の手を握りしめるちいさな手の温かさに、

とにかくもう胸がいっぱいになってしまいました。

 

ハルに近しい年頃の、ちいさな男の子たち。

何か感じるものがあって、

私たち母子を気遣ってくれたのでしょうか。

それはそれは柔らかな毛布で大切に包んでもらったような、

そんな幸せな心持ちです。

まるで私まで子どもの頃に戻ったように、

懐かしくも新鮮な感動でした。

 

 

本当に、なんていとおしい子どもたちだろう・・・。

朝、私に無理にでもしがみつこうとしないハルの様子からすると、

先生方にも、とてもよくしてもらっているのでしょう。

 

ハルも、このちいさなお友達も、先生も、

その大切な人も、その大切な人の大切な人も、

皆幸せだったらいいのに。

そんなふうに思わせてくれる、素敵な出来事でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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ハル、保育園へ行く。

 

ハルの保育園用品を揃えたり、

仕事の準備などをしていたら、

あっという間に四月を迎えてしまいました。

 

ほんのわずかの時間も惜しむような思いで

ハルと過ごしたここ二週間程は、

本当になんて幸せでいとおしい日々だろうという気持ちと、

いやはや、これはやはり大変だという気持ちとで、

楽しくも慌ただしいものでした。

 

きっと、後から振り返るときに、

あんまり素敵な思い出ばかりだと寂しくなるので、

”そうは言っても大変だったなあ”というくらいで

ちょうどいい塩梅のような気もしています。

 

さて、そんなわけで、今週の月曜日から、

ハルは保育園へ通い始めました。

この日のために用意した手ふきタオルやコップなどを、

幾度も鞄へ仕舞っては出し、仕舞っては出し、

とても嬉しそうな様子のハル。

特に指定のピンク色の帽子がえらく気に入ったようで、

本来は公園などへ皆で外出する際に使うものだそうですが、

前日に手渡すと、それからずっとかぶりっぱなしで、

結局、初日はそのまま登園しました。

  

 

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そんな元気いっぱいのハルでしたが、

いざ保育園へ着くと、私たちのもとを離れたがらずにめそめそ。

ほとんど知らない場所で知らない人に囲まれ、

さらには私も傍にいないというのは、

ハルにとってまるで経験したことのない状況ですから、

無理のないことかもわかりません。

 

最終的には「ハルちゃん、もう少ししたら、皆でおやつを食べるよ。」という

先生の言葉につられ、「またね」をした、少食の割に食いしん坊のハルですが、

その後お話を伺うと、おせんべいを美味しくいただいたそうです。

 

けれどもそれ以降、ハルは毎日泣き続けているそうで、

おやつも二日目以降まったく食べていないのだとか。

大好きなはずのおやつを要らないと言うハルの心持ちを考えると、

なんだか申し訳ないような、胸の苦しい思いがします。

 

初めは、慣らし保育ということで、

ハルは午前中の二時間だけお預かりいただいているのですが、

それでもハルにとってはとても長く感じられるのでしょう。

迎えに行くと、目に涙をいっぱいに溜めて

わっと駆け寄って来るハル。

その姿に、仕方のないことと覚悟を決めつつも、

本当に堪らない気持ちになります。

 

人見知りで、不安の強いハル・・・。

帰り道は、「(お母)しゃん、(お母)しゃん。」と、

ずっと私の存在を確かめるように私を呼び続けています。

 

「うん、お母さんだよ。ハルのことが大好きな、ハルのお母さんだよ。」

 

本人が不安だと言うことを、あまり簡単に「大丈夫だよ」と応えるのも、

自分の子どもの頃の不安事を思うと躊躇われるのですが、

とは言え私が後ろ向きに捉えていては

ハルもいよいよ不安が募ってしまうようにも思います。

丁寧に気持ちを受け止め、寄り添いながら、

ハルが少しずつでも新しい世界を

受け入れていけるようになればと願う毎日です。

 

ちなみに、今日の帰りがけ、

ちょうど他の園児さんたちの昼食の配膳が始まろうとしていたところ、

ハルがあれは何かと指差すので、

「あれは皆のお昼ごはんだよ。美味しそうだね。

ハルも明日、皆と一緒にお昼ごはんを食べてみる?」

と訊くと、「たええみゆ(食べてみる)」と言うハル。

そこで急遽、明日はお昼ごはんを食べ終えるところまで

お預かりいただくこととなりました。

 

 

果たしてどうなるやら、

まだ親子共々不安でいっぱいですが、

また追って、ご報告させてください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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分け合って、分け合って…。

 

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ハルが、自分の大好きなものを食べているときに、

それを半分こなどで分けてくれることがあります。

 

ちいさい子ども向けのお菓子はどうも割高ですし、

果物もなかなかによいお値段がするので、

本当はハル一人でどうぞという気持ちもあるのですが、

その優しさは、やはりとても嬉しいものです。

 

先日は、苺を分けてくれたハル。

相変わらずの躊躇のなさに色々と考えさせられつつ、

“そうだね。分け合って、分け合って、

手元に残るものはわずかでも、

皆で一緒に美味しく食べられたら嬉しいねえ。”

…と、そんなことを思っていたら、

その後あっさりとおかわりを要求するハルなのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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“皆幸せ”が、幸せ。

 

ハルは、誰かが怒ったり泣いたりしている様子が苦手です。

絵本でそうした場面に出くわすと、見せないでと言わんばかりに

逃げ出し、早く先の頁へ進むよう遠くから指示を出します。

テレビの場合には、同じく隣の部屋などへ駆け込み、

物陰から不安げに見つめているか、もしくは観ないで済むよう、

懸命に手で顔を覆っています。

 

ぎゅっと目をつぶり、ちいさな手を顔に当てる仕草は、

まるで誰かを悪く思うときなどの嫌な気持ちが

自分の中へ入り込むことのないよう、全身を塞いでいるみたいです。

 

そして反対に、ハルは誰かが笑っていたり、

楽しそうにしていたりする様子がとても好きです。

その場にいる皆が仲良く遊んでいる光景などを見ると、

本当に嬉しそうにしています。

 

ハルにとって、哀しみや幸せは、

それが誰か知らない自分以外のものであっても、

けして他人事ではないのかも知れません。

 

 

 

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たとえばどこかに困っている人がいて、

その人に手を差し出したときに、

「その人が助かるなんて、ずるい。」と言う

別の誰かがいたとしたら、私には、その人もまた、

本当は助けてもらいたいのだというような気がしてなりません。

だけれども助けてほしいと言えないで、

あるいは言ってはいけないと自分に言い聞かせて、

苦しんでいる

もしか自分が助けてもらいたいのだということに、

気がついていないということも、あるのかもわかりません。

 

ある程度生きていたら、哀しみのまるで無い人など、きっといないのでしょう。

皆それぞれに、様々な思いを抱えているように感じられます。

 

本当は、皆が助かれば良い。

哀しみの比べ合いではなくて、

苦しみのぶつけ合いではなくて、

皆が幸せになったら良い。

 

けれど、もしも助けの必要な人皆を

掬い上げることができないのだとしたら、

それは、制度や理解が不十分であったり、

各々があんまり精一杯で、差し出す手が足りないだけ。

自分は苦しくても仕方がない。

だから、あの人も苦しんで当たり前。

そんなふうに納得して生きるのは、

余程苦しく哀しいことのような気がするのです。

 

 

皆が幸せになったら良いと、皆がそう思うだけで、

少し、何かが変わる…。と言うより、

誰かが困っていたら心配になるし、苦しんでいたら心が痛む、

誰かが泣いていたら哀しいし、笑っていたら嬉しい、

私たちの心は、もとは確かにそうできている。

 

手を顔に当ててもたれるハルの頭を撫ぜていると、

ふと、そんなふうにも思われるのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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ハルの絶望

 

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ハルは、転んだ際などは割に平然としているのですが、

思いがけないことで不意に泣き出すときがあります。

 

先日は、お出掛けをしようと身支度を整えているなか、

ハルが持っていきたいと言っていた絵本を

私のリュックサックにしまったところ、急に泣き崩れました。

 

その様子が、まるでこの世に絶望したかのごとくあんまり全力なので、

私はなにやらよくわからない励ましの言葉をかけたりなどしてしまいました。

 

「そうか、ハルは自分で絵本を持とうと思ったのね、すごいね。

じゃあハルにお願いするから、がんばってね。」

 

あたふたと絵本を取り出して手渡すと、それをしっかと抱えるハル。

少々、いえだいぶ大仰にも感じられますが、

ハルにとってはとても大切なことだったようです。

 

 

心が苦しくなることは事実として受け止めてあげたい。

けれど、自分ではどうにも救いのないように思われることであっても、

ほんの一寸距離を置いてみれば存外どこかに幸いはあって、

それ程絶望することもないのか知れない…。

 

ぼんやりそんなことを考えていると、

ハルはもうすっかり機嫌を良くして、ひとり玄関で

アンパンマンの『サンサンたいそう』の歌を口ずさんでいたのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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