ハルの庭

三歳の娘との、毎日の暮らしを綴っています。

宝探し

 

今、大人になった私が、

ハルという存在を知らずに一人で歩いていたならば、

咲いている花に立ち止まることがあったとしても、

足もとまで色々になにか探し歩くことは

きっとしなかったろうと思います。

 

ハルと外へ出ると、葉のかたちや、

陽に透いた花びらの色模様にはっとするばかりでなく、

普段気に留めないようなところにまで関心が向くために、

とても素敵な時間を過ごすことができるのです。

 

けれども振り返ってみれば、確かに私にも、

秘かな喜びとともにツツジの蜜をそっと口に含んでみたり、

やたらとオシロイバナの種を集めてみたりする頃がありました。

ああした子どもの時分には、一寸近くの公園へ行くのでも、

あっちこっちと随分寄り道をしていました。

 

まだ背丈も低く、草花とずっと近しい目線で歩いていたときには、

ちいさな赤い実も、道端の花も、猫じゃらしの穂も、

足元を埋め尽くす落ち葉も、なにか妙にしっくりくる木の枝も、

他の多くの物事と同じに等しく価値があり、

世界はもっとずっと豊かなものとして目に映っていたように思われます。

 

ハルにとってみれば、今まさに、

そこらじゅうが宝物で溢れているように見えるのかもわかりません。

 

まるきりハルと同じ心持ちでいるのは難しいにしても、

ハルが世界を見つめる目を尊く感じることは、

きっと忘れずにいたいと思っています。 

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そんなハルとの道草ですが、近頃は何を拾うにしても、

ハルが「しゃん(お母さん)!」と指差し、私の分も拾うように言います。

虫食いのないドングリ、傷んでいないハナミズキの実、

綺麗なものをふたつずつ探すのは、思いのほか大変です。

 

それでも、お互い揃いのものを手に「同じだね。」と話すときの

ハルの笑顔が嬉しくて、やっぱり私も一緒にいそいそと宝物を探しています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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