ハルの庭

三歳の娘との、毎日の暮らしを綴っています。

ポケットの中には

 

お出掛けをすると、行く先々で次から次へとものを拾うハル。

今時分であれば、艶がかったドングリの実や、

ところどころ色の移ろうイチョウの葉、

やわらかな山茶花の花びらなどを手にしては、

熱心にポケットへ仕舞い込んでいます。

 

時折、ハルがポケットのない服を着ているときには、

私の服のポケットを探って中へ押し込むこともあります。

大切な宝物を預かるので、つぶさないよう気を配るのに一苦労です。

 

この拾いもの、場所やものによる善し悪しを

説明するのがとても難しく、どうにも悩みの種です。

今のところ、私有地でない場所の、このまま風に吹かれて

どこへゆくともわからない自然のものについては、

拾っても良いこととしています。

 

例えば、よそのお庭から公道に落ちたお花は、ありがたくいただいています。

ただし、あんまり立派なものではなく、雪柳の白い小花や、

先程の山茶花のように花びらがはらはらと散ったような程度のもの。

あるいは、道端の小石や木の実は拾っても大丈夫、等々。

気をつけなくてはいけないのが、お寺の境内や駐車場などです。

意図的に敷き並べている小石はいじったらもとに戻すこと、

もちろん草花は見せてもらうだけ。

そうしたことを、都度説明するようにしています。

 

幼いハルにとって、伸び伸びと枝葉を伸ばす木々や、

心地好さそうに揺れる草花に手を伸ばしたくなる衝動は、

とても大切なものだと感じます。

そこに、公の場所、あるいは他の誰かの場所など、

触れることの善し悪しに違いを見いだすのは、

私が想像するよりずっと難しいことに違いありません。

それでも、皆の大切なものが隣り合うなかで生きていくわけですから、

ゆっくりでも丁寧に伝えていかなくてはと思っています。

 

 

 

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この頃のハルは随分よく理解するようになりましたので、

あまり慌ててしまうこともありません。

つい軒先の植木に触れそうになっても、「優しく、優しくね。」と言うと、

そっとちいさな手で撫でています。

 

 

ですが、銀杏のミイラみたいなものや、

不自然に鮮やかな黄緑色をしたキノコなど、

時々とんでもないものを嬉しそうに見せてくれるハル。

声にならない声で叫びそうになることもしばしばです。

 

なんでもかんでもだめとは言いたくないのですが、

やはり受け付けられないものも多く、

さみしくも私はもう子どもではないのだなあと日々実感しています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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