ハルの庭

三歳の娘との、毎日の暮らしを綴っています。

「おうち、に、いたい。」

 

朝、保育園へ行くための身支度を整えていると、

ハルが行きたくないと言って泣き出します。

 

そして今日、涙ながらに、

「おうち、に、いたい。」と言われてしまいました。

 

そんなにもはっきりと気持ちを伝えてもらうと、

その意向に添えないことに、いよいよ心苦しく、

胸の詰まる思いがします

 

ほとんど何もしてあげられなかったような、

もっと色々できたのじゃないかという気持ちにもなる、この二年半。

ですが、ハルにとっては、私と過ごす時間が

確かに安心で、心地好くも感じられるものだったのか知れないと、

こんなときに考えるには、はばかられることですが、

ほんの少し安堵するようでもあります。

 

けれども、それさえも私の勝手で、

いっそ何もわからないようなずっとちいさいうちから

保育園へ通っていた方が、かえって良かったのか知れないと、

そんなふうにも考えてしまいます。

 

私自身は、

生まれて間もなく保育園へ通い始めたので、

最初の頃のことはまるで覚えていません。

随分と泣いて、母は後ろ髪引かれる思いで

仕事へ行ったものだと話してくれましたが、

記憶の中での私はいつも楽しく過ごしていました。

 

ハルにとっても、保育園でのことが

素敵な思い出になるよう願っていますが、

それはあくまでも私の経験に依るものであって、

今のハルには、ただ不安で、哀しいだけ・・・。

 

だいぶ時間をかけて、

いずれ保育園という場所へ通うのだということ、

そこには優しい先生がいて、お友達がいて、

皆と沢山遊ぶところなのだということを伝えてきましたが、 

それでも、四六時中、母親である私のそばで過ごしていた

日々と比べてしまうと、そのあまりに大きな環境の変化を

“そういうものなのだ”と受け入れるなど、

土台無理なことなのでしょうか。

 

「なんだか、こちらまで切なくなっちゃうけれど、

初めのひと月は、皆そうなのよね。

もう一寸経てば、ね、きっと、大丈夫ですから。」

保育園で声をかけてくださった

余所のお母様の言葉に心すくわれたり、

けれどもそれを私がハルに求めるのは

やはり酷なのでないかと落ち込んだり、

覚悟を決めなくてはと思いつつも、

くよくよと心配ばかりしてしまいます。

 

 

“誰かを大切に思うというのはこわいこと。

大切な人が増えるのは、とてもこわい。”

ハルが生まれる前、夫にそんな話をしていたことを、

ふと思い出しました。

 

自分のことなら

幾らだって受け入れるけれど、

ハルが辛い思いをすることは、本当に苦しい・・・。

  

それでも、私は母となりました。

今だって、これからだって、

きっと幾度もハルの哀しむ姿を目にするでしょう。

もっとこわいことには、

私の知らないところでハルがひとり

哀しみに暮れることだってあるかもわかりません。

 

 

 

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“苦しいことも、哀しいこともあるけれど、

それでも、世界は美しい。”

 

思いがけず、

いつかの自分の言葉に、はっとさせられました。

 

 

 

そのうちに、今日のことを話して、

ハルと一緒に笑える日が来るでしょうか。

もどかしく、悩ましい日々ではありますが、

その日のために、今できることのぜんぶをしたいと思っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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