ハルの庭

三歳の娘との、毎日の暮らしを綴っています。

ハルと、私と、保育園。

 

ハルが通うことになる保育園は、

もともと希望していたところとは異なる園に決まりましたが、

今はかえって、これで良かったのかも知れないと思うようになりました。

 

初めは、自宅近くや通勤途中など、

とにかく送迎の負担が軽い場所にある保育園を選び、

夫や私にゆとりの持てることが、結果的ハルにとっても

良いことなのではないかと考えていたのですが、

そうした保育園は便利な場所にある反面、

園庭が大変狭いなど悩ましい点も多くありました。

 

今回承諾をいただいた保育園は、とても不便な場所にありますが、

その分、園庭も比較的広く、周囲に公園も多数点在しているため、

割にのびのびと過ごせそうな印象です。

 

“まあハルがどのように感じるかなんてことは、

ハル自身の経験に依ってのみわかることなのだから。”と、

いずれにしても私が一人勝手にあれこれと推し量ることは

もう止めにして、現状を前向きに捉えるつもりでいます。

 

 

 

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こうして、これからハルが過ごすであろう環境のことを色々に考えていると、

やはり保育園とはただ子どもの安全を見守るばかりでなく、

子どもの成長をも見守る場所であってほしい、と願わずにはいられません。

 

ハルの隣で過ごしていると、成長のきっかけというものは、

実に些細な出来事の積み重ねであるように感じられます。

そうしたちいさな感動や、発見、学びに、寄り添っていただけたら。

過ぎたこととは承知の上ですが、つい、そんなふうにも思ってしまいます。

 

そしてまたもう一つ、これは本当に大げさでなく、

私たちが保育園にお預かり願うのは、ハルの身柄のみならず、

ほんの一部とは言え、我が子の人生、

その大切な時間でもあるのだということもひしひしと感じています。

 

これまでは、ハルの哀しむとき、

すぐに抱きしめ「大丈夫だよ」と声をかけることができました。

ハルが喜ぶときは一緒になって笑い、

お互いがいることの幸せを幾らでも伝え合うことができました。

 

けれどこれからは、ハルが泣く時も、笑う時も、がんばった時も、

困った時も、寂しい時も、私が傍にいるとは限りません。

いえきっと、傍にいられないことの方が多くなります。

そのことを思うと、どうにも堪らない心持ちです。

 

まして、もっとずっとちいさなうちからお子様をお預けになって

働く方のご不安などは如何ばかりか…。

 

何事にも向き不向きがありますから、我が子と始終共に過ごすことが

親となった人の絶対の幸せとは思わないのですが、それでも、

多くの方がそれぞれに葛藤しながら日々暮していらっしゃるのだろうかと

そんなことを考えてもみました。

 

せめて自分たちのもとを離れて過ごす環境が、

我が子にとって、また他の大勢の子どもたちにとって、

喜ばしい場所であるように…。

今は何か、そんな祈るような心持ちでいます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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