ハルの庭

三歳の娘との、毎日の暮らしを綴っています。

私と蜜柑

 

先日、ハルの蜜柑好きについて書きましたが、

何を隠そう私も蜜柑が大好物です。

 

子どもの頃は、祖父母から誕生日プレゼントに

段ボール箱いっぱいの蜜柑をもらう程。

それをほとんど一人で、あっと言う間に食べきっていました。

秋の深まる今時分には、もう早速手足が蜜柑色になっていたものです。

 

皮を剥くたび広がる、瑞々しく澄んだ香り。

秋の、薄い黄金色の陽が、芯まで染み込んだような淡い色。

少し控えめな甘味の中に程好い酸味が溶けた、清々しい後味は、

ついもう一つばかり、かごに手を伸ばしたくなってしまいます。

 

あの、からだ全体に行き渡るような香りをいっぱいに嗅ぐと、

私は自分がまだ子どもだった頃のことを思い出します。

けれどもこれは早摘みの、一寸青みがかったようなのでなくてはいけません。

近頃よく見られるような、あんまり甘味の強い蜜柑はどうも馴染みません。

私にとって蜜柑の香りと言えば、もっと軽やかな、すっと潔いものです。

 

例えば小学校の運動会、

両親や祖父母と一緒にお昼ごはんを食べるときには、

食後に必ずあの青みがかったような蜜柑がありました。

薄く張った皮を剥きながら、

さっきまでの学年別の出し物について話したり、

午後のリレーの出番を説明したり。

 

あの頃は、まだ今程に多様な果物はなかったように思います。

秋の果物と言えばやはり蜜柑や林檎、柿などでしたから、

とりわけ包丁要らずで手軽に食べられる蜜柑は行楽のお供に欠かせませんでした。

校庭は、あちこちの家族で蜜柑を食べるために、

その数だけ実が成ったような、それは良い香りが漂っていたものです。

 

週末に祖父母の家へ行くと、

この時期必ず用意をしておいてくれたのも蜜柑です。

おやつに食べ、夕飯のあとに食べ、

なにやらひっきりなしに食べ続けていたような気もします。

勢い良くぱっと食べてしまう私と違い、

母は、白い筋を丁寧にとって、

一つの蜜柑をゆっくりと味わうように食べていました。

三個くらいをさっさと食べてしまった私に、

その綺麗に筋のとれた蜜柑をわけてくれた母。

それは、不思議と特別美味しく感じられました。

 

こうして考えると、蜜柑は、

母と私、そして母となった私とハル、

それぞれの家族の思い出でもあります。

 

今日もまた、ハルと一緒に蜜柑を食べるでしょう。

そのときにはきっと、ほんのわずかの間、

私も子どもに戻ったような気持ちになるのです。

 

 

 

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