ハルの庭

三歳の娘との、毎日の暮らしを綴っています。

花森安治さんと考えるもののけじめ

 

一貫した姿勢で、社会への問題提起を続けた花森安治さん。

歯に衣着せぬ言葉はなかなかに手厳しいものですが、

その根底には確固たる信念が感じられます。

 

夫の買ってきた第2世紀第1号の『暮しの手帖』で、

『ものの けじめ』と題して掲載された花森さんの言葉に、

その一端がかいま見られるような思いがします。

 

「戦争に敗けて、これまでのことはなんでもまちがっていた、というふうになった。

ものの けじめなんぞは、いらざることであるというふうになった。(中略)

しかしもう二十年あまりたっている。そろそろ、ものの けじめというものを

新しくつくりあげていくときがきている。というよりこのへんで、

ものの けじめをはっきりしなければ、この国も、この国に住んでいるわれわれも、

われわれの暮しも、だめになってしまいそうな気がするのである。」

 

朝起きてから、ごはんの前に家の内やまわりを掃除しなくなったこと。

ねまきのまま顔を洗い、食卓につくということ。

炊きあがったごはんをおひつにうつさず食べるということ。

ものの けじめを、いわば生きていくための暮しのルールのようなものだとして、

それがなくなってきているのではないかと仰っているのです。

 

さらには、日々の暮しに始まり、家の外、つまりは勤めに出た先などでも、

ものの けじめがないがしろにされることによって、暮しをささえるような

様々な商品を作っている人たちまでが、まるで自分本位になってしまうことの

恐ろしさを危惧していらした花森さん。

そうした状況に、もはや黙っておれないという思いの体現こそが、

あの噂に名高い商品テストの数々であったのかもわかりません。

有名な事例に、以下のようなものがあります。

 

・トースターの性能を試すために、食パンを4万3千88枚焼く。

・数百世帯もの家庭から生活ゴミを集めて掃除機に吸わせる。

・コンセントを5千回抜き差しする。

・ベビーカーに赤ちゃんと同じ重さの砂袋を置き、100kmを押して歩く。

・火事の際の燃え広がり方や対処法を調べるため家を一軒燃やす。

 

 

いずれも、にわかに信じがたい内容です。

全体どれだけの時間と労力と、気力とを要することでしょう。

けれども、さらに驚くべきことに、これはほんの一例なのです。

 

 

 

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そんななか、偶然の出会いから

我が家の一員となった『暮しの手帖』の特集は、

「おすすめできるのは一つもない」と、

ぴしゃりと言い放たれた『全自動洗濯機のテスト報告』です。

 

洗いムラができる、脱水中に蓋を開けても止まらない、

ホースが傷んで変色する、サビが出る等々、様々な観点から検証したうえで、

筆の重そうに、しかしながら辛辣に結果を評していらっしゃいます。

 

6種類の洗濯機でハンカチを1千回ずつ洗ってみたり、

注水弁と排水弁を各6千回ずつ開閉してみたりと、その念の入り様は相当なものです。

まだ物が少なく高価だった時代、買い物、特にいわゆる家電製品を購入することは、

今よりずっと大変なことだったのでしょう。であればこそ、ほとんど不完全のような

商品を堂々売り出すことへの憤りを禁じ得なかったのかも知れません。

その熱意には、もはや畏敬の念さえ抱くようです。

 

そのうえで花森さんは、主婦がなまけたいばかりに

汚れの残るような服を着せられたのではこまるとも仰っています。

今でこそ、いわゆる全自動の洗濯機というものは家庭の必需品となっていますが、

家事を疎ましく思う気持ちに応えるようつくられた製品だと考えると、

なにやら耳が痛いお話です。

 

結局のところ、家族の身につけるものを

綺麗にしたいというような思いが疎かになることもまた、

暮しのなかのものの けじめが失われていることと言えるのかもわかりません。

昨今の家電製品の恩恵を受けている身としては、その素晴らしい性能と、

改良のため少なからず影響を及ぼしたと思われる商品テストに感謝しきりです。

 

 

最後にもうひとつ、花森さんの言葉をご紹介したいと思います。

「ものの けじめをはっきりさせる、ということは、

ときには自分には不利なことがある。いやなことがある。

しかし、一から百までなにからなにまで、全部自分のつごうのいいようにしか

考えられないとしたら、これはもう、一つの社会をつくりあげていくわけにはいかない。

(中略)ものの けじめを、はっきりさせようではないか。

それが必要だとしたら、それをするのは、ぼくたち大人の責任である。」

 

自分にとって好いか否かではなく、

それがいかに在るべきかという視点で、物事を捉えること。

相手を尊重する気持ちも必要ですし、不本意な場合もあります。

けれども、ことに子どもは否が応にも大人のつくる環境のなかで育つわけですから、

よりよい社会であるように、やはりできるだけのことをしたいと思うのです。

 

 

ものの けじめをつけるということは、

すなわち誠実に生きることであるのかも知れない。

そんなふうにも考えさせてくださる、花森さんです。

 

 

  

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