ハルの庭

三歳の娘との、毎日の暮らしを綴っています。

真似っこ

 

先日、松葉づえに頼る生活と書きましたが、

一日の大半を家の中で過ごすようになってみると、

実際のところ松葉づえを使う機会はほとんどなくなりました。

 

しばらく試してはみたのですが、

ハルが甲斐甲斐しく手助けを買って出てくれるので、

それがありがたいやら危なっかしいやら、

とても頼って歩くことができません。

そのうえ、ほんの一寸壁に立て掛けておこうものなら

格好の玩具になってしまいます。

 

「ハル、お気になさらず。」と言ってみたところで、

あんなに不思議なかたちをしたものが興味を引かないはわけもなく、

我慢を強いるのは土台無理があることのようです。

 

散々工夫はしてみましたが、

結局はハルの目が届かない場所に仕舞い込むこととなりました。

 

これ以上私の骨折が悪化しては困りますし、

ハルに何かあってもいけません。

それに壊してしまっても大変です。

日毎にお借りしている料金も発生しているのですが、

まぁ仕方がありません。

今は、仕事部屋の片隅でひっそり佇んでもらっています。

 

そうなると、移動は座ったまま後退りか、

もしくは壁づたいに右足で跳ねるような方法になります。

松葉づえどころか、頼れるのはもはや己の身一つ、

ほんの少しきり部屋の中を行き来するのでも修行のようです。

 

ここ幾日かでだいぶコツをつかんだような感覚もあり、

怪我をした当初に思っていた程の不自由はないのですが、

やはり休み休みでなくては骨折以外の箇所まで痛めてしまいそうで、注意が必要です。

また、ここで今一度、持ち前のそそっかしさを発揮するわけにもいきません。

後退りはハルに足を踏まれないように気をつけて。

跳ぶときは足元を確認しながら、着地で過度の負担がないよう、

それでいて何かに引っ掛からないように、高過ぎず、低過ぎず…。

 

そんなふうに移動をしていたら、

いつの間にやらハルが私の真似っこをするようになっていました。

おまけに無意識のうちにも私は掛け声を伴っていたらしく、

「(よい)しょ、(よい)しょ。」というのが

すっかりハルのお馴染みの言葉になってしまいました。

 

 

私にとってはやむにやまれぬ移動手段だったのですが、

どうもハルにとってはこの見たことのない仕草が遊びのひとつとなったようです。

一緒にやるという面白さも手伝ってか、私の隣に付き添うハルは実に楽しそうです。

 

 

こんなふうに目先の目的だけにとらわれることなく

物事を見つめていたら、世界はどんなにか豊かで素敵なものでしょう。

 

ふとした興味関心からの知的好奇心が、

いずれ学びへと繋がり、

ハルの生きる力になるのだとすれば、

こんな些細なことでも大切にしたいという気持ちになったのでした。

 

 

 

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