ハルの庭

三歳の娘との、毎日の暮らしを綴っています。

理由を説明する、理由。

 

ハルと接するうえで大切にしたいことのひとつに、

「理由を説明する」というものがあります。

 

帽子をかぶることや、服を着ること、靴を履くこと、

ごはんを食べることからバスに乗ることまで、

暮らしのなかの一寸したことであっても、

できるだけ、その理由をハルに説明するようにしています。

そしてまた、何かを諦めたり、

我慢をしてもらわなくてはいけないときなど、

ハルにとって不本意の場合には、

なお一層丁寧に説明をするよう心掛けています。

 

物事にはそれぞれに理由があり、夫や私が理不尽に何事かをハルに

強いることはないのだと知ってもらいたいという考えからです。

 

今はまだ、説明のすべてを理解することはできないのでしょうけれども、

誠実に話をしている姿勢というのは、おおよそ伝わるものだという気がしています。

 

帽子やタオルケットの件でも、私の話に対して

懸命に耳を傾けてくれている様子の伺えるハル。

いずれ理解できるようになれば、

きちんと説明できるだけの理由を持って

接してきたということが、

相応の意味を成すようにも思うのです。

 

また、ハルに理由を説明することには、別の良い点もありました。

私自身が色々に考えを深めることで、そこに私の個人的な

決め付けや思い込みが含まれていた場合に気がつくことができるのです。

必ずしもそのときでなくてはいけないものでもなかったり、

他により目的に適う選択肢があったりなど、絶対にこうすべきという事柄は

案外と少ないものだということを感じたりもしています。

 

例えば、お風呂上がりのハルに服を着せようとすると、

暑いからといやがることがあります。

そのようなときは、寒くならないために着るものなのだということ、

寒くなりそうなときには教えてほしいことを、ハルに伝えます。

今のハルが、それを確実に実践できるとは思わないのですが、

不出来を責めることさえなければ、

「これはあなたにとって大切なのよ。」と伝えることも、

自覚を促す良い経験になるのではと考えています。

そうして、時々ハルの背中の温みを確認しながら、

暑さも落ち着いたような頃に再び服を着ることを提案すると、

わりにすんなり聞き入れてくれたりもするのです。

 

私自身が幼かった頃を振り返ってみても感じることですが、

子どもにとって、自分の思いを受け止め、理解してもらえること、

納得のできる提案をしてもらえることというのは、些細な出来事であっても

親のかける手間以上に得るものが大きいのかもわかりません。

 

  

様々な事柄について、その理由を考えることは、

現在の状況や、それに見合うより良い選択肢、

さらには目的そのものを理解することへも繋がっていきます。

それはつまるところ、物事の在るべき姿について考える、

ということでもあるように思うのです。

 

理由を説明することや、そこから一緒に考えるという経験を通じて、

この先、ハルが、自身で向き合う課題に対しても、

その本質をきちんと見定めることができるようになればと願っています。

 

 

さて、そう遠くない時期に、お喋りができるようになるであろうハル。

あんまり頼りないお母さんでは申し訳ないと、少し焦ったりもしている大雑把でぐうたらな私です。

 

  

 

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