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我が家は、トマトの種だらけ。

二歳の娘との、毎日の暮らしを綴っています。

そうだ、お散歩に行こう。

今日のハル-一歳十ヶ月

 

外へ出掛けることが好きなハル、散歩をしようと声をかけると、

着替えもそこそこに玄関へ走って行ってしまいます。

左右を取り違えたりしながらも一人で靴を履き、

ときにはオムツ一枚で待機していることも。

そのまま外へ飛び出していきそうな勢いで、早く早くと大騒ぎです。

 

なんとか手際よく出発するため、

私の着替えや持ち物の確認などはもちろんのこと、

さりげなくハルの着替え済ませてから散歩のお誘いをするようにしています。

散歩と聞いていやがることはないので、これが一番良い手順なのです。

 

ところが、最近では私が着替えを始めた時点で

玄関へ行ってしまうようになりました。

こうなると、その後の支度も一苦労です。

 

また、ときには来客を迎えるための着替えや、

私だけ外出しなくてはならずに着替えることもあり、

着替えることが必ずしも散歩とは限りません。

そうなると、“着替えるということはもしや散歩では”と喜ぶハルに、

あとから「違うのよ」と伝えるのは、あんまり可哀想な気もします。

 

なるべくハルをがっかりさせずに、手際よく支度をこなす。

これが、目下の課題です。

 

ところでこの間、またいつものように私が着替えをしようとするや否や、

様子を見に来たハル。その表情に、なにか感じるものがありました。

これまでは、ただ気がつかなかっただけかもわかりません。

散歩へ行くであろうことの嬉しさの他に、わずかな不安の様相が見て取れたのです。

 

それで思いました。もしかすると、

ハルが私の着替えていることに気がついてすぐ玄関へと走るのは、

散歩行きたさで気が急いているだけでなく、

一緒に連れて行ってほしいという意思表示なのではないかと。

まさか自分を置いていくわけではないのよね、 という確認でもあり、

あるいは靴まで履いて待っていれば、どのみち連れて行ってくれるはず、

という期待でもあるのかしらと。

 

だとしたら、なんていじらしいのでしょう。

 

 

考え過ぎかも知れませんが、それでも、

大人の思う以上に、子どもの心は細やかに、深く、物事を感じている。

そんな気がしてなりません。

 

 

 

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