ハルの庭

三歳の娘との、毎日の暮らしを綴っています。

ハルのいてくれること

 

寝起きのハルは、その時々で随分と様子が違います。

機嫌の良いこともあれば、泣きながら目を覚ますこともあり、

また、直前まで寝言のように何かお喋りをしていたり、

何も言わずに座り込んでいることもあります。

そうかと思うと、むくりと起き上がって、

そのまま寝室の外まで出てくるようなこともあります。

そして私の姿を見とめると、安堵したような、

それでいて泣き崩れるような表情で、駆け寄ってくるのです。

 

目が覚めて、不安のなか辺りを見渡し、それから懸命に私を探すハル。

その胸の内を思うと、まったく堪らない気持ちになります。

 

ですが、この子が私を求め、

私もまたこの子に応えてあげられるのは、

ほんのわずかの間だけ。

いつまでもそばにいたいけれど、

そうして守ってあげられるのは、今だけのこと。

そう考えると、ひしと身を寄せるハルを、ひたすら抱きしめずにはいられません。

それは、まるで存在そのものを全身で受け止めることのようです。

 

ハルにはハルの人生があり、

広がっていく世界があり、

ときには傷ついたり悲しんだりもする。

わかってはいることですが、そんなとき、

ただ見守ることきりできないというのはどれ程もどかしいでしょう。

せめて今だけは、ハルが私を必要とする今だけは、

幾らでも抱きしめていたい、そう思うのです。

いつか、ハルが一人思い悩むときには、

どうかハル自身がその存在を受け止めることのできるように…。

 

自分の存在することを、ただその事実に依ってのみ

肯定することは、案外難しいように思われます。

特別の役目を果たせなければいけないのではという焦りから、

かえって何もできなくなってしまうこともあります。

確かに、気がついたときにはもう自分は生まれているわけですから、

この世界に存在することが前提として当然であり、

それだけではいけないのだと考えるのも無理なからぬことかもわかりません。

それでも、ハルのいてくれること、夫と私にとってそれが一体どれ程の幸いか。

ハルには、無意識のうちにも知っておいてもらいたいのです。

 

 

そんなこんなで起き抜けのハルが、涙目のまま、なにはさておきバナナが食べたいと言い、

その無邪気さに救われもして、またぎゅっと抱きしめたりなどするのでした。

 

 

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