ハルの庭

三歳の娘との、毎日の暮らしを綴っています。

自分より大切に思うことの不思議

 

昨日は、ハルの予防接種のために小児科へ行ってきました。

ところが、肝心の予防接種は受けられず…。

ハルが、感染性の病気にかかってしまっていたのです。

 

これまでは、鼻風邪くらいしかひいたことのなかったハル。

とうとう、流行病という試練に立つときがやってきました。

幸い、もうほとんど治りかけているという診断でしたし、

特別に治療をするということでもないそうなので、

ひとまずはなるたけ早くに完治することを願うばかりです。

 

とは言え、両の手のひらに見られる湿疹はいかにも痒そうで、

なにもしてあげられないというのはかえって辛いものがあります。

できることならば全部引き受けてあげたいと思うのですが、そうもいきません。

このやきもきとした心持ちのまま過ごすのは、なんとも堪らない時間です。

 

 

 

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それにしても、痒みや痛み、そのほかしんどいものは、

どのような類いであれ、私自身けして好意的に受け止めるわけはないのですが、

ハルが苦しむくらいなら自分が、という自然の感覚には新鮮な驚きを覚えます。

生物としての仕組みのひとつだとしても、どれほど複雑な作用でしょう。

 

 

それで思い出したことですが、

私がまだ小学生の頃、授業参観で討論会をしたことがありました。

議題は、『子どもと大人と、どちらが良いか。』というようなものです。

くじ引きで、私は大人を良しとする組に入ったものの、正直なところ

私を含めたクラスのほぼ全員が子どもの方が良いに決まっていると思っていました。

 

実際に討論が始まると、

子どもはたくさん遊んでいられる、季節ごとの長い休みがある、

働かなくて良い、家事をしなくて良い、まだまだ人生先が長い、

責任がない、などなど、まさに無責任な考えも一緒くたになりながら、

案の定、子どもを良しとする意見は大変な盛り上がりようでした。

 

すっかりやる気をなくしていた私ですが、

当時わりに口達者だったことで妙な期待をされていたのか、

先生からの無言の後押しを受けて、仕方なしにこんなことを言いました。

「確かに、子どもには自分の好きにできる自由があるし、

 大人は自分のことだけしていられるわけではないから、とても大変そうに見える。

 それでも、両親が私を生んでくれて、毎日を幸せだと言ってくれるのなら

 大人としての時間もきっと素敵なのだと思う。

 自分たちだって楽しい思いをしたいにちがいないのに、

 自分が喜ぶことより嬉しいと思える存在がいるのは、実はなにより幸せなことのはずだ。」

 

 

我ながら、生意気なことを言ったものです。

ただ他に思いつかなかっただけの苦し紛れな理屈でしかありませんが、

それでも今に立ち返ってみれば、多少なり真理をついたふうにも聴こえるから不思議です。

もちろん、大人になることの幸福が親になることきりとは思いませんが。

 

誰かを自分より大切に思うということ、

そのあまりに大きくたゆたう感情は、もはやこわいくらいでもあります。

それは、まるで奇跡のようにも感じられるものです。

 

 

ハルの手のひらを見やりつつ、最後数粒残った、

私自身も好物のぶどうをハルにあげながら、

ふとそんなことを思ったのでした。

 

 

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