ハルの庭

三歳の娘との、毎日の暮らしを綴っています。

ハルの哀しみ

 

f:id:someyakaoru:20170305120536p:plain

 

 

 

ある、おやつどき。

ハルの大好きな甘栗をお皿に出すと、

そのままでは喉につかえそうな、少し心配になる大きさでした。

そこで、「半分に割ってから食べよう」と提案すると、

すんなり了承してくれたハル。

 

ところが、いざ割ったものを差し出すと、

突然大きな声で泣き出しました。

どうやら、思っていたよりずっと

栗がちいさくなってしまったことが哀しかったようです。

 

子どもの頃、取り返しがつかないということを

とても恐れていた私ですが、ハルにとっては、

初めての“こんなはずじゃなかった”という思いだったのかも知れません。

 

 

何気なくの振る舞いや、

善かれという気持ちからしたことでさえ、

望まぬ結果に繋がることがある人生。

 

ハルにはずっと幸せでいてほしいけれど、

甘栗を半分にしたら思いのほかちいさかった、

ということより哀しい出来事が、

きっとこの先、幾らでもあるから…。

 

ハルには、どうか、たくましく育ってもらいたいと思っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

f:id:someyakaoru:20160818222529p:plain

 

大人の言うことを聞け

 

“大人は、どうして子どもだったときのことを忘れてしまうのだろう。”

物心ついた頃から、そのことが私はいつも不思議でした。

きっとすべてを忘れてしまうわけではないのだろうけれど、

そう考えるよりほか納得のできない程に、

大人は自分たちのことをまるでわかっていないと感じていたのです。

 

「子どもの喧嘩をたしなめるのに、どうして大人は戦争をするの?」

そんな単純な問いへの答えも持ち合わせず、

それでいて子どもの思いも解せないようでは、

大人になるって全体困ったことばかりのようだと途方にくれていました。

 

大人と、大人のつくる世界の理不尽さに、

時に憤り、抵抗を覚え、

けれども様々な経験を重ねながら

いつしか自分自身の内にも多くの矛盾を孕み、

そうして気がつけば誰もが大人になります。

 

さらには親ともなった今の私が、

ほんの片隅とは言え大人の世界に佇んで見る景色は、

子どもの頃に思い描いていたそれとは随分と違うものでした。

 

大人の不器用さを子どもの前で言い訳したくはないけれど、

大人ってどうしてこうも愉しく、幸せで、苦しくて、切ないのだろう。

大人の勝手で、到底許容しがたい状況が生まれていることは事実ですが、

それでも、

“自分の望むかたちではなかったけれど、確かに其処に愛はあった。”、

いつか、そう思えることもあるのかもわかりません。

 

子どもの頃をふと思い出し、こんなことを考えたのは、

偶然にとても素敵な曲を知ったからです。

その名も『大人の言うことを聞け』。

 

歌い手は、Nakamura Emiさんという方です。

 

強い言葉にもいとおしさが感じられ、

真っ直ぐで清々しい気持ちになるこの曲、

かつて子どもだった自分、葛藤しながら大人として生きる自分に、

すっと刺さります。

 

 

 

f:id:someyakaoru:20170301000126p:plain

 

こんなにも強い眼差しで世界を見つめていたことが、きっと私にもあったのでしょう。

 

歌詞も、音も、映像も、魅力的な曲です。

Facebookでもシェアということをしてみました。

よろしければぜひ、ご視聴ください。 

 

 

 

大人の言うことを聞け / NakamuraEmi

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

f:id:someyakaoru:20160818222529p:plain

 

ハルのお喋り

 

f:id:someyakaoru:20170227213210p:plain

 

 

 

ハルは、「する」という単語を「しゅ」と言います。

おそらく、こののち、「しゅ」から「しゅる」になり、

「する」に落ち着くものと思われるのですが、

私は今の「しゅ」という話し方がとても好きです。

 

その言葉を聴きたいがために、

ついつい誘導してしまうのですが、

その度ひとり秘かに、にんまりとしています。

 

歩き初めは十ヶ月頃と随分早かったハルですが、

お喋りの方はまだまだ。

 

それでも今だけのことと知っていればこそ、

いとおしいハルの言葉の、つたなさです。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

f:id:someyakaoru:20160818222529p:plain

 

 

someyakaoru.hatenadiary.jp

 

名探偵お母さん『暗号を解読せよ』

 

f:id:someyakaoru:20170222112526p:plain

 

 

 

これは、まるで無意識のうちにしていたことなのですが、

ハルに話しかけるとき、私は色々なものの名前の後に

「さん」という敬称をつけていました。

 

林檎さん、バナナさん、蜜柑さん、クマさん、

ゾウさん、冷蔵庫さん、等々。

あまり考えなしのことでしたので、

「さん」をつけるものとつけないものの境も曖昧です。

 

もともと、私自身が物を擬人化して捉えるような節があり、

また絵本の影響などもあって、自然にそのような言葉が

出たものと思われます。

 

「ハル、おさじさんに優しくよ。」といったように、

何かにつけ、ものを大切にするよう話すには、

なかなか功を奏しているかに思われる、この呼び方。

一方で、困っていることもあります。

まだ言葉のはっきりと出ないハルが、繰り返し耳にし、

比較的発音もしやすい「さん」の箇所ばかりを拾って話すため、

何を言うにも「しゃん(さん)!」になってしまうのです。

 

「しゃん、しゃん!」

(お母さん、林檎さん食べよう!)

 

それはもはや、暗号そのもの。

「しゃん」の前に来る微細な音の違いや、ハルの仕草、

その場の状況などに照らして、

言わんとすることを推理しなくてはいけません。

 

まさか、こんなことになるとは…。

事態を迷宮入りさせないよう、毎度、探偵気分で挑んでいます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

f:id:someyakaoru:20160818222529p:plain

 

 

someyakaoru.hatenadiary.jp

 

 

 

 

名探偵お母さん『残された歯形の謎』

 

f:id:someyakaoru:20170222094524p:plain

 

 

 

林檎を食べている途中で、

隣の部屋へと走って行ってしまったハル。

声を掛けても戻らないので仕方なしに様子を見に行くと、

ハルはすでに遊びに夢中です。

そして床には、ぽつんと転がる、かじりかけの林檎。

 

「ハル、林檎さんはハルに美味しく食べてもらいたくて

来てくれたのに、こんなふうにポイポイしたら悲しいよ。

食べられないときは無理しなくても良いから、お皿に置こう。

ごちそうさまも、ちゃんと言おうね。」

 

寂し気に横たわる林檎の欠片を拾い上げ、

話をするのですが、ハルはなんと知らん顔をするのです。

その表情があまりに可愛らしく、

思わずたじろいでしまった私ですが、

林檎の欠片にはくっきりとハルの歯形がついています。

 

動かぬ証拠を前に、とうとう己のしたことを認め、

林檎にごめんなさいとごちそうさまをするハルでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

f:id:someyakaoru:20160818222529p:plain

 

ハルと、私と、保育園。

 

ハルが通うことになる保育園は、

もともと希望していたところとは異なる園に決まりましたが、

今はかえって、これで良かったのかも知れないと思うようになりました。

 

初めは、自宅近くや通勤途中など、

とにかく送迎の負担が軽い場所にある保育園を選び、

夫や私にゆとりの持てることが、結果的ハルにとっても

良いことなのではないかと考えていたのですが、

そうした保育園は便利な場所にある反面、

園庭が大変狭いなど悩ましい点も多くありました。

 

今回承諾をいただいた保育園は、とても不便な場所にありますが、

その分、園庭も比較的広く、周囲に公園も多数点在しているため、

割にのびのびと過ごせそうな印象です。

 

“まあハルがどのように感じるかなんてことは、

ハル自身の経験に依ってのみわかることなのだから。”と、

いずれにしても私が一人勝手にあれこれと推し量ることは

もう止めにして、現状を前向きに捉えるつもりでいます。

 

 

 

f:id:someyakaoru:20170220234134p:plain

 

 

 

 

こうして、これからハルが過ごすであろう環境のことを色々に考えていると、

やはり保育園とはただ子どもの安全を見守るばかりでなく、

子どもの成長をも見守る場所であってほしい、と願わずにはいられません。

 

ハルの隣で過ごしていると、成長のきっかけというものは、

実に些細な出来事の積み重ねであるように感じられます。

そうしたちいさな感動や、発見、学びに、寄り添っていただけたら。

過ぎたこととは承知の上ですが、つい、そんなふうにも思ってしまいます。

 

そしてまたもう一つ、これは本当に大げさでなく、

私たちが保育園にお預かり願うのは、ハルの身柄のみならず、

ほんの一部とは言え、我が子の人生、

その大切な時間でもあるのだということもひしひしと感じています。

 

これまでは、ハルの哀しむとき、

すぐに抱きしめ「大丈夫だよ」と声をかけることができました。

ハルが喜ぶときは一緒になって笑い、

お互いがいることの幸せを幾らでも伝え合うことができました。

 

けれどこれからは、ハルが泣く時も、笑う時も、がんばった時も、

困った時も、寂しい時も、私が傍にいるとは限りません。

いえきっと、傍にいられないことの方が多くなります。

そのことを思うと、どうにも堪らない心持ちです。

 

まして、もっとずっとちいさなうちからお子様をお預けになって

働く方のご不安などは如何ばかりか…。

 

何事にも向き不向きがありますから、我が子と始終共に過ごすことが

親となった人の絶対の幸せとは思わないのですが、それでも、

多くの方がそれぞれに葛藤しながら日々暮していらっしゃるのだろうかと

そんなことを考えてもみました。

 

せめて自分たちのもとを離れて過ごす環境が、

我が子にとって、また他の大勢の子どもたちにとって、

喜ばしい場所であるように…。

今は何か、そんな祈るような心持ちでいます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

f:id:someyakaoru:20160818222529p:plain

 

 

someyakaoru.hatenadiary.jp

 

ハルのこと、保育園のこと。

 

もう二週間程前のお話になりますが、我が家へも、

ハルの保育園入園申請についての通知が届きました。

 

結果からご報告しますと、有り難いことに、

ハルはなんとか認可保育園への

入園承諾をいただくことができました。

 

すでに保育園の入園手続き等を経験された方は

ご存知かと思うのですが、この認可保育園というのは、

国の定めた認可基準のもと認可を受けた保育施設を指します。

一方いわゆる認可外保育園と呼ばれるのが、

先の基準を満たしていない無認可保育園のことです。

無認可という響きが、まるで無許可という言葉のそれに近いようで

なにやら不安にもなるのですが、実際のところ認可保育園と

ほとんど変わりない保育の質を確保していらっしゃる園もあり、

内情は様々です。

 

話を戻しますと、現在住んでいる自治体では、

来年度の四月入園に向けた一次申請者数は

ここ五年で最も多く、およそ四人に一人が不承諾、

つまりは認可保育園への入園を認められなかったとのこと。

 

ハルの場合には、二歳児の募集枠を設けている

認可保育園が限られており、

さらに通園可能な範囲となるとそう選択肢もなく、

そのような中で承諾をいただけたことは大変幸いでした。

それでもけして希望順位の高い園とは言えず、

通勤経路からも随分離れた不便な場所で、

それ故なんとか入ることができた、という印象です。

 

今回の結果から察するに、希望していた園への入園は、

二次や三次の申請、また転園も含め、相当に難しいようですので、

このまま承諾をいただいた認可保育園にて

ハルをお預かり願うことにしました。

 

 

さて、入園先が決まり、

ようやく落ち着いたところでふと気がついてみれば、

ハルが保育園へ通い始めるまでもう二ヶ月とありません。

それはつまり、私とハルがこんなにも密に過ごせる時間が

あとわずかということでもあり、

その事実に改めて寂しさがこみ上げます。

 

これまでは、朝起きてから夜眠るまで、

毎日およそ十四時間程を共にしてきた私たち。

ですが今後は、たったの三時間、

傍にいられるかどうかという生活で

 

抱きしめたいときはいつだって抱きしめることができ、

本当に、何をするにもずっと一緒だった私とハル。

オムツ替えのたび、日に幾度も見ていた

可愛い蒙古斑のおしりも、なかなか見られなくなるなんて…。

思わず、溜め息が漏れてしまいます。

 

 

f:id:someyakaoru:20170216093645p:plain

 

 

 

本当を言えば、幼稚園での三年保育というのが理想ではあったのですが、

先々のことを考え、今は働くことが家族として最良の選択だと判断しました。

加えて、ハルが大変人見知りをするために、なるべく早い段階で、

同年代のお友達と多く遊ぶ機会を持った方が良いのでは、という思いもありました。

 

そしてまた、三歳になると保育園への入園を希望する方も

少なくなりますが、同時に募集枠もいよいよ減ってしまうため、

もしもどこへも入れないとなると、非常に困ってしまうのです。

 

 

 

今回のことで、これまで世間話程度に

聞き及んでいた保育園入園の厳しい現状、

子どものすこやかな成長と仕事の両立という、

親として直面する課題の困難さを強く実感しました。

 

 

仕事をすること、そのために我が子を

お預かりいただくことの理由は、人により色々ですが、

もしも、それが少なからず、巡り巡って繋がる

誰かの幸せを願ってのことであるならば、

やはり応援し、支え合う社会であってほしい…。

ハルのこと、保育園のことで頭を悩ませた日々を振り返り、

そう切に思っています。