ハルの庭

三歳の娘との、毎日の暮らしを綴っています。

ハルのおすすめ おまけ

 

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食事の際、なかなかエプロンをつけたがらないハル。

食べこぼしたものを受け止めてくれること、

服が汚れずに済むこと、似合っていて可愛いこと等々、

食事用エプロンがいかに頼もしく素敵な存在か、

という話を切々としていたら、

逆にハルからすすめられてしまいました。

 

“そんなに良いものなら、ぜひお母さんに…。”

との気持ちは、とても嬉しく有り難いのですが、

どうも一本とられたような、複雑な心境にもなるのでした。

 

そして結局、毎回エプロンはつけてもらえず

なんとも、困ったものです。

 

 

 

 

 

 

 

 

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ハルのおすすめ

 

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久しぶりに、揃って出掛けようと、

身支度を整えていたときのことです。

 

後ろから呼ぶ声に振り返ってみれば、

首元にハルのよだれかけを掲げた夫の姿がありました。

 

実に得意げな顔で、

「(お父)しゃん!」と、しきりに夫を指差すハル。

 

どんなわけで花柄のそれをおすすめしてくれたのかは分かりませんが、

一緒にハルのよだれかけを選んだ後、それじゃあお父さんにも…と、

ハルが手渡してくれたのだそうです。

 

近頃のハルは、着たい服を自分で決めることもあり、

時には手渡した服を「ないない」と放り投げることもしばしば。

その様子に、女の子の片鱗をかいま見る思いで何やらドキドキしています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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チーズ違い?

 

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気がつくと、ハルが食べ物のチーズのことを

「わんわん」と言うようになっていました。

 

おそらくは、アニメ『それいけ!アンパンマン』に出てくる

名犬チーズと混同しているものと思われるのですが、

それにしても一体どう解釈すればそれで納得ができるのやら。

 

その柔軟な思考力に妙に感心したり、

そう言えば、私は子どもの頃、

俳優のニコラス・ケイジさんのことを

ニコラス刑事というお巡りさんだと思っていたなあ…

と、ふとそんなことまで思い出したりなどして、

ハルがチーズのことを「わんわん」と言う度、つい笑ってしまいます。

 

音の響きは同じでも意味の違う言葉があるというのは、

確かにややこしいことですね。

 

「食べるチーズは、牛さんのおっぱいから作るんだよ。」と

一応説明はしてみましたが、その後も「わんわん」と言って聞かないので、

理解の程は疑問です。

 

こうなると、いつか真実を知ったときのハルの表情が

少し楽しみにもなるのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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毎日の奇跡

 

夜、眠る前、

隣で寝ているハルの手を、

時々こっそりと握ることがあります。

 

もう随分成長したと思っていたけれど、

その手はやっぱりちいさくて、柔らかくて、とても温かい。

 

二年と一寸前には、確かにこの子は私のお腹の中にいて、

もうほんの少し遡ると、この世界に存在すらしていなかっただなんて、

本当に不思議です。

 

目の前で寝息をたてているハルは、

そうか、私の子どもなのか、

私はお母さんになったのか、

などと、今更に驚いてしまいます。

 

齢九十を過ぎた父方の祖父に妊娠を伝えた時、

祖父が「なんだかもう、胸がいっぱいになっちゃうねえ。

奇跡、としか言い様がないんだなあ。」と、

その思いを話してくれたように、

今、ハルが此所にこうして生きているということは、まさに奇跡であって、

そう考えれば私は毎日奇跡を目の当たりにしているのだという 

心持ちにもなります。

 

起きている時には、やれご飯は要らないからトマトだけ食べたい、

散歩は行きたいけど着替えは嫌だ、抱っこで天井を触らせてほしい、等々、

とにかく大変な騒ぎのハル。ですが、いざ寝ている顔を見ると、

昼間の疲れもいつの間にか、ゆるゆるとどこか遠く溶け流れていくようです。

 

“明日も、沢山笑おう。”

 

起こしてしまわないように、そっとハルの手を握りしめて、

名残惜しいような気持ちで幾度もその寝顔を覗き込みながら、

ようやく眠りにつく夜です。

 

 

 

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ハル二歳、髪を切る。

 

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先日、ハルの髪の毛を切りました。

 

もともと髪が細く、量も少ないハル。

生まれたときからこれまで、

目にかかりそうな前髪を整えたことのある他は、

ほとんど何もしていませんでした。

 

それでも二歳を過ぎた頃になると、

さすがに髪型にも多少の変化が見られるようになり、

ブログのイラストではあまり正確に描いていなかったのですが、

全体もっさりとしてきました。

 

そこで、ある日ハルが鏡の前で遊びたいと言い出した際、

そのどさくさに紛れて切ってみることにしたのです。

服を、食べこぼし等で散々汚れたものに着替えてもらい、

切った後は、落ちた髪の毛を服ごとさよならすることにしました。

 

ハルの気をひかないよう、さりげなく髪を切ることおよそ五分。

ほんのわずかの違いですが、これまで幾度となく

男の子と間違われていたハルが、不思議と女の子の雰囲気になりました。

 

ふと思いだしたのが、随分前に買い込んでいたヘアバンドの存在です。

以前はそもそも嫌がってつけてもらえなかったのですが、

もしや今なら大丈夫かも知れないと再挑戦、すると…。

 

色にも、問題があったのかもわかりません。

そこには、どう見てもおしゃれとはほど遠い、

ねじり鉢巻風にヘアバンドをつけたハルの不満げな顔がありました。

 

(これは…バカボンのパパさん?)

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ちいさな女の子がヘアバンドをしている姿はとても可愛らしく、

秘かに憧れているのですが、我が家で実現するのは

どうもまだまだ先のことになりそうです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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“できない”ってことは、“できる”ってこと?

 

あれは、ハルが一歳半くらいの頃でしょうか。

少し前のお話になりますが、ハルが度々

謎の行動を見せていたことがありました。

 

ごはんやおやつを食べる際、おもむろに食べ物を掴んだかと思うと、

そのまま隣の部屋へと駆けていくのです。何事かと覗いてみれば、

部屋の隅に座り込んでこちらを見つめているハル。

どうやら、そこで食べようとしているらしいのです。

 

机のところへ戻って食べるように話すのですが、断固として動きません。

ハルが座り込もうとした場所に物が置いてあったときには、

同じ部屋の別の隅に移動して食べていました。

こうした行動が、食事の度に見られたのです。

 

一体どういうわけだろうと考えているうちに、

これとよく似た光景をどこかで見た覚えのあることに気がつきました。

確か、ライオンかなにかの野生動物を特集したテレビ番組で、

自分の取り分の餌を仲間から離れた場所へ移動してから食べる、という一場面です。

 

気になって少し調べてみると、

こうしたことは犬や猫にも見られる行動だそうで、

食べ物を横取りされる心配なく自分だけの場所で

安心して食べたいという意識に依るものとのことでした。

 

私や夫、そしてハルは、食べ物を取り合うわけでなし、

わざわざ離れて食べる必要はないように思われますが、

部屋の隅でじっとちいさくなって座り込む様子は、

やはりただならぬものを感じさせます。

 

 

そうしてハルを見ていると、ふと、

私たちも動物なのだなあというごく当たり前のことに、

はっとさせられます。

 

人間とは面白いもので、

野生動物としての習性を色濃く残しながら生まれ、

成長するに従い社会へ順応していく様は、

まるで人類の進化をたどるようです。

 

そう考えてみれば、泣くことや人見知りをすること、

なんでも口に入れてみたりすることや、眠ることへの不安など、

赤ちゃんの行動は、たとえ大人が困惑するようなものであっても、

大人の理想通りに“できない”のではなく、

本能に基づいた本来とるべき行動や反応が“できる”のだと

言えるようにも思われます。

 

子どもの行動でどうにも理解に苦しむ場合には、

大人の考える社会的常識や規範に当てはめるよりも、

むしろ人間がもともと備え持つ習性に照らして考える方が

理にかなっているのかもわかりません。

 

野生の環境では、あらゆることが命がけですから、

確かにお行儀もなにもないわけです。

後々の本人のためとは言え、

大人の思うようにできなくとも無理はないと

ゆったり構えているくらいが、

かえってこちらも心持ちが楽のような気もします。

 

余裕のないときなどは、ほとほと困ってしまうこともありますが、

とにかく子どもは一生懸命ですから、余程危ないことでないかぎりは

気長に付き合っていきたいとも思うのです。

 

 

 

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ちなみに、ひと月ほどでその行動は見られなくなりました。

あれは一体なんだったのか、結局のところはよくわからないのですが、

人が育っていく過程の奥深さをまたひとつ、かいま見たような出来事でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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お花の赤ちゃん

 

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ハルは、花の蕾や木の葉の芽のことを「赤ちゃん」と呼んでいます。

ハルがまだうんとちいさい頃、それこそ赤ちゃんだったときに、

私が散歩などへ行く度そうしたものを見かけては

「ほら、ちいさいねぇ。お花の赤ちゃんみたいだね。」と話していたので、

自然とそう呼ぶようになっていました。

 

強いて言えば、お花の赤ちゃんは種が正解かなぁとも思うのですが、

それはまあ、いずれまた説明するとして…。

 

今日は、散歩の途中で、福寿草の蕾を見つけました。

土の中からむくりと顔を出し、ひっそりとがくにくるまる姿は、

なんだか本当に赤ちゃんが眠っているようです。

 

暦の上では大寒、そのなかでも、全体七十二で割ると

今日辺りの候の言葉は「春隣」(はるとなり)と言うそうです。

寒い寒いと思って過ごしていても、木々の枝先には新芽が膨らみ、

ちいさな花の蕾も其所此所に見られます。

心持ちやわらかな陽に、春の気配をわずかにも感じながら、

なんとか散歩を愉しむ毎日です。